前回、「驚くべき地図の効用」と題して、間違った地図のおかげで生還した事例を紹介しました。ハンガリー軍の偵察隊が雪のアルプス山中で道に迷い、たまたま持ち合わせていたピレネーの地図を頼りに無事帰還した実話です。
今回は、正しい地図を持ちながら遭難した事例をとりあげます。世に言う八甲田雪中行軍遭難事件です。新田次郎氏の小説『八甲田山 死の彷徨』や、それを映画化した『八甲田山』でご存知かもしれません。事件の概要は、以下のとおりです。
明治35年1月、青森の歩兵第5連隊が八甲田山で雪中行軍訓練を実施しました。地元村民の道案内の申し出を断り、地図を頼りに進軍。1日目の昼頃から記録的な寒波が襲来しますが、隊員の防寒装備は粗末なものでした。暴風と深雪の中、進軍は難渋を極め、山中での露営を強いられます。
2日目の未明、反転帰営することに方針を変更して進軍を再開しますが、渓谷に迷い込んでしまいます。隊員のひとりが目的地への道を思い出したと言い出します。再び方針を変更し目的地へ案内させますが、道を誤りさらに深い谷に入り込み、戻る道まで見失ってしまいます。三たび方針を変更し帰営をめざすことにしますが、凍傷で倒れる者が続出、3日目になっても帰路を発見できません。「天は我らを見放した」と指揮官が叫びます。もはや統制のとれなくなった部隊は、散り散りとなって雪の中をさまよいます。
5日目にしてようやく捜索隊が遭難者を発見。訓練参加者210名中199名が死亡という大惨事が明らかとなりました。
ハンガリー軍の偵察隊は、間違った地図を頼りに生還。青森の歩兵第5連隊は、正しい地図を持ちながら遭難。もちろん地図以外の条件の違いもありますが、驚くべき地図のパラドックスといえるでしょう。
この地図のパラドックスを解く鍵であり、生死を分けたポイントは、何でしょうか。信じるに足る道筋を明示し、確信をもった行動を引き出し継続させたかどうか、ではないでしょうか。
ハンガリー軍の偵察隊は、間違った地図を信じ、自信をもって行動し続け、生還しました。青森の歩兵第5連隊は、正しい地図よりも一隊員の思い込みを信じるなど右往左往、絶望してさまようばかりとなりました。
実は、同じ時期に、弘前の歩兵第31連隊も八甲田山で雪中行軍訓練を実施していました。青森の歩兵第5連隊とは逆方向からの進軍です。指揮官は「天に勝つべし」と叱咤激励、地図と地元民の案内により、自信をもって行動し続け、38名全員が生還しました。
不透明な状況にあっても、信じるに足る道筋を明示し、自信をもって行動を継続すること。アルプスや八甲田の吹雪のような時代を生き抜く術といえるでしょう。