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2023年11月10日 by 前田 章雄

【歴史に学ぶエネルギー】2.富を独占した三角貿易のうま味


「歴史に学ぶエネルギー」をシリーズで考えています。前回は、日本では幕末にあたる時期のアメリカの動きをみてきました。ここで、当時の世界情勢を把握する意味でも、イギリスの三角貿易についておさえておきたいと思います。

 

1)原料を輸入するための三角貿易

大航海時代から世界中に植民地を拡大してきたイギリスですが、さらに石炭による蒸気機関を用いた産業革命を起こし、その勢力をますます拡大させていきます。

現代は独立してアメリカやカナダとなっている北アメリカ大陸も、イギリスの植民地としてはじまっています。アフリカ大陸では、エジプトをはじめナイジェリアやスーダンなど20か国近くがイギリスの植民地でした。オーストラリアやニュージーランドも、イギリスの植民地です。中東ではイラクやイスラエル、東南アジアではシンガポールとマレーシア、そしてミンマーや香港などがありました。そして、イギリスにとってもっとも重要だった植民地が、インドです。

 

当時のイギリスの一大産業といえば、紡績です。明治時代も後半になると、その地位を日本に奪われるようになりましたが、当時のイギリスは生活必需品でもある衣類を大量生産することで世界を牛耳ろうともくろみます。

燃料となる石炭は、イギリス国内で豊富に産出されます。さらなる拡大には、原料の木綿を国内生産だけでなく海外からも仕入れ、それを国内で加工した綿織物を海外で販売しなければなりません。

そこで考え出されたのが、三角貿易です。

 

まずは、原料となる木綿を仕入れるための三角貿易をみてみましょう。

イギリスはアフリカ大陸へおもむき、黒人奴隷を大勢仕入れます。奴隷貿易はポルトガル、スペインといった国々ではじめられ、そのうま味を知ったオランダやイギリスへ波及していきます。

強制的に連れ出された黒人たちは劣悪な環境のまま、つまり安価に輸送され、アメリカ大陸へと運ばれます。そのアメリカでは、奴隷の労働力をフルに活用して、綿花が大規模に生産されるようになりました。

イギリスは、奴隷を売ったおカネで綿花を買って、本国へ持ち帰ったというわけです。大きな元手をかけることなく、原料の仕入れに成功しました。

このように、搾取できる国から搾取し、その成果を別の国へもっていくことで望みのモノを手に入れる。これこそが、イギリスが考え出した三角貿易のうま味だったのです。

 

2)綿織物を輸出するための三角貿易

じつは、イギリスの植民地だったインドでは、歴史的にみても綿織物が一大産業となっていました。また、中国の綿織物も滑らかな質感で特産品となっていました。

イギリスははじめ、これらの国から綿織物を輸入していました。しかし、それによってイギリスの伝統産業でもあった羊毛製品が大打撃を受けます。そこで、製造を機械化した綿織物をこれらの国へ売り、国内産業を育成し守る政策に転換したのです。

 

中国はイギリスから距離があったため、なにかを輸出しようとしても輸送費が高くついてしまいます。

そこで、インドに綿織物を売ることにしました。はじめはインドから綿花を買って、綿織物を売ろうとします。しかし、インドの伝統産業でもある綿織物が簡単に売れるはずもありません。そこで、インド中の織物職人たちを集めて、彼らの手を切り落としました。

つぎに、インドで芥子(けし)といった麻薬の原料を栽培させてイギリスが購入し、そこに綿織物を売ることで麻薬(アヘン)を買った代金を回収するというシステムを編み出します。当時のインドは貧しい国でしたから、カネの成る木として麻薬が選ばれたというわけです。イギリス産の綿織物が、麻薬と物々交換されたと言ってもいいでしょう。 

その麻薬を持って、中国へむかいます。それまでのイギリスは、中国から質の良かった綿織物や茶を購入していました。その代金は銀です。大量の銀が中国へ流れていきました。なんとしても、この銀を取り戻さなくてはなりません。前述したように、イギリス製の綿織物は中国では売れません。

そこで登場したのが、インドでつくらせたアヘンです。これらの麻薬を強制的に売りつけます。そこで得られた代金で、茶や磁器を買い求めるという荒稼ぎをしていました。

 

もちろん、中国も黙ってはおりません。当時の中国は清王朝時代でしたが、もともとアヘンを吸引する習慣が人々にはありました。しかし、過度な流入によって国内の銀が大量に流出することで財政難に陥るとともに、人々の健康阻害も問題化していきます。

清政府は国内のアヘンを取り締まり、アヘンを没収して破棄しました。そして、一切のアヘン貿易を禁止します。一国の政府として、当然の措置を実行したまでです。しかし、それで黙っているイギリスではありません。イギリスは清に対しアヘン戦争を起こし、勝利するとすぐさま南京条約を締結するのです。その結果、清はアヘン貿易を合法化させられるとともに、香港島まで割譲されました。

中国に対するイギリスの影響は、香港が返還される1997年まで続くことになるのです。

 

一見するとエネルギーとは無関係な歴史的事象ではありますが、こうした時代背景を把握しておくことで、その後の日本がエネルギーを求めてどのような行動に走ったのかを理解するための一助となります。

江戸時代の薪を燃やしていた時代から、石炭や石油を大量につかうスタイルが一気にやってきます。エネルギーが貿易の中心となり、エネルギーの獲得がすべてに優先されるようになり、エネルギーが原因で戦争に突入するという悲しい時代へと移っていくのです。

私たちは、こうした歴史からエネルギーをどのように取り扱うべきかを学ばなければなりません。



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