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2024年04月12日 by 前田 章雄

【歴史に学ぶエネルギー】23.油に始まり、油で終わった戦争


今回の「歴史に学ぶエネルギー」では、日露戦争に勝った日本がますます軍備を増強しながら中国へ侵攻した時代を振り返ってみます。

 

1)中国へ触手を伸ばした日本

第二次世界大戦前の日本です。大正から昭和初期にかけた時代、この国の最大の課題は、殖産興業・富国強兵でした。軍備の増強にまい進した日本は強い工業力を身につけ、第一次世界大戦の海外からの特需対応で飛躍的な発展を遂げることとなります。

やがて日本は、ロシアの南下政策に対抗する目的で朝鮮半島に進出し、満州や台湾を足がかりに中国全土に触手を伸ばしていきます。この時代は、欧州列強による植民地全盛期です。第一次世界大戦で大敗したドイツも植民地を欲し、日本も資源をもつ植民地の強奪をもくろみます。

 

はじめのころ、日本は「欧米列強からの開放」というスローガンを掲げて他国へ進出していました。欧米の搾取一辺倒な植民地支配とは違って、同化政策を基本としていました。積極的な財政投資をおこない、港湾や交通網を整備します。現地の人々の生活レベルを日本並みにあげる努力により、日本の進出は好意的に受け取られていました。

しかし一方で、同化政策とは日本人と同じになることを強いることでもあります。現地の言語を禁止し、日本語を強制的に教えて無理やりしゃべらせます。同化と聞けば差別意識がないように聞こえますが、実態は既存の文化をないがしろにして上から目線で教えてやろうと考えているわけですから、次第に差別意識が表面化してくるとともに資源の略奪が第一目的となり、当初の崇高な理念から乖離していくようになります。

 

当時の中国は、世界が金本位制へと移行するなかで銀本位制を続けていました。また、蒋介石率いる国民政府による内戦状態にもありました。そこで日本は中国通貨の力を奪おうと、陰で中国の銀輸入を拡大させて、中国通貨の暴落を試みます。

するとイギリスは蒋介石のうしろ盾となって、銀貨の幣制改革を断行しました。せっかくアヘンで征服した中国です。あとからノコノコやってきた日本に、好きなようにやらせるわけにはいきません。

しかし、当時の日本もしたたかでした。幣制改革の一週間後、日本は外為専門銀行をつかって中国通貨を売り浴びせる大規模オペレーションを発動するのです。中国は手持ちの銀をアメリカ政府に買ってもらい、得た米ドルを為替安定化基金の原資として必死に対抗します。

決して褒められる行動ではありませんが、当時の日本は金融政策をキチンと理解しており、国際戦略に活用していた、ということは特筆すべき事実です。

 

2)戦争への突入、そして敗戦

戦前の日本は、石油のほとんどをアメリカからの輸入でまかなっていました。欧州列強が中東で発見された石油のソースを自国管理しようと動いているなか、日本はアメリカ一国にすべてをゆだねていたのです。リスク管理としての「多様化」の重要性を理解していなかったことが、その後の日本の将来を決めることになりました。

 

そのころ、日本と同じように中国市場への進出をもくろんでいたアメリカは、中国へ金融戦争をしかけた日本に対して石油輸出を絞る処置をとります。日本は手持ちの金貨で世界中から資源を買いあさります。やがて、それも底を尽きはじめました。しかし、「列強入りしたい」という不屈の精神論だけで、日本は真珠湾に突入したのです。

第二次世界大戦は、植民地支配をしている国に対して、植民地をもたない国が闘いを挑んだ戦争だといわれています。イギリスをはじめとした植民地支配国は、植民地外との貿易に高関税をかけるブロック経済を政策としていました。そのため、国際市場から事実上の締め出し状態にあった日本やドイツ、イタリアは市場を求めて奔走したわけですが、そのなかでも石油は重要な位置を占めていました。

ヒトラーがバルバロッサ大作戦でロシアに侵攻したことも、石油が目的です。コーカサス油田を獲ることがスターリングラード攻防戦につながっています。

石油の独自ソース(供給源)をもっていなかった日独伊は、他国への進出によって資源を獲得し、競争力を増すことで、ブロックされた市場をこじ開けるしか生きる道が残されていなかったのです。

 

やがて日本は目的と方向を見失いながら他国へ侵攻することになり、194586日午前815分、広島に原爆が落とされます。

その原爆は、直径が0.7メートル、長さが3メートル、重さが4トン。ずんぐりとした格好で、あだ名が「リトル・ジョン」でした。アメリカ兵の俗語で「子供のおちんちん」という意味です。そんなあだ名をつけたものを日本に落としたわけですから、ひどい話です。かくして日本は終戦を迎えることになりました。

時のトルーマン大統領による戦後処理には、恐ろしい計画が進行していました。戦勝国である米英ソ中による日本の分割統治です。中国地方と九州はイギリスが、四国地方は中国が統治する。近畿地方は中国とアメリカで共同統治し、東海地方と北陸地方はアメリカ。東北地方と北海道はソ連で、日本の中心である関東はアメリカ・イギリス・ソ連・中国の四か国共同統治という計画になっていたのです。

GHQに支配されたおかげで分割統治されずに済んだ、ともいえますが、もっとエネルギーのことを知らなければいけないと痛感させられます。が良い悪いという議論ではなく、近代史で果たしたエネルギー資源の重要性を私たちは一瞬たりとも忘れてはなりません。

 

『昭和天皇独白録』(1995年、文春文庫)で、第124代天皇陛下裕仁陛下も当時を回顧して次のように語られています。

「先の日米戦争は油に始まり、油で終わった」

まさしく、石油が歴史をつくったのです。

明治時代の日本が強かった理由のひとつに、石炭を自給できた資源国だったことが挙げられます。しかし、時代は石油への転換が求められており、その石油は日本にはありません。それにもかかわらず、日本国として信頼できる石油資源を獲得し、かつ多様性をもたせる努力を怠っていたことが、日本を破滅へ導いた理由のひとつであったと断罪すべきでしょう。

 

 

このコラムでは、エネルギーに関するさまざまなトリビア情報を、シリーズでお伝えしたいと考えています。次回をお楽しみに。


 

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