藤森 照信
2008年03月21日作成年月日 |
執筆者名 |
研究領域 |
カテゴリー |
媒体(Vol.) |
備考 |
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2008年03月21日 |
藤森 照信 |
都市・コミュニティ |
都市システム・構造 |
情報誌CEL (Vol.84) |
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都市の論理都市の論理 羽仁五郎著 勁草書房 一九六八年
もう覚えている人も限られるが、私が大学生だった頃、 『都市の論理』という本があった。書いたのは羽仁五郎。本の内容をおおまかにいうと、都市というものの主人公は、行政でも企業でもなく、市民、それも自立した自由な市民であると主張する。ここまでは社会的な主張だが、この先が私たち建築関係者にからんでくる。
そうした自由な市民を象徴するのが都市広場だというのである。広場がない都市など都市ではない。日本の広場は広場とは言えない。
都市、市民、広場、この三位一体を語り、当時の学生の心を打ったのだった。
で、私も、羽仁五郎の講演を聴きに行った。壇上に上った羽仁五郎は、少なくとも私の近辺にはいないタイプの風貌で、銀髪の老人なのに、日本の伝統的老人のような柔和さはなく、悟ったような静けさもなく、強い表情でしゃべり、そして何よりファッションが歳に似合わず若く、オシャレだった。
壇上に上がって、まず語りはじめたのは、フィレンツェの市庁舎前の広場の光景だった。中心にはミケランジェロ作のダビデの像が立っていて、おしよせる敵に向かい、今にも石だか円盤だかを投げつけようとしているその光景。その姿にこそ、自由で自立した当時のフィレンツェの市民の理想が込められていると。
聴いている学生も市民も、イタリアなど行ったこともないし、将来行けるとも思っていない。当時、外貨の不足から海外へ行くのは制限されており、政府派遣の留学か、商社の駐在員か外交官か、ようするに仕事でなければかなわぬ夢だった。
そんな聴衆に向かって羽仁五郎は、自分が見たフィレンツェの広場の光景を語るのだった。
もう覚えている人も限られるが、私が大学生だった頃、 『都市の論理』という本があった。書いたのは羽仁五郎。本の内容をおおまかにいうと、都市というものの主人公は、行政でも企業でもなく、市民、それも自立した自由な市民であると主張する。ここまでは社会的な主張だが、この先が私たち建築関係者にからんでくる。
そうした自由な市民を象徴するのが都市広場だというのである。広場がない都市など都市ではない。日本の広場は広場とは言えない。
都市、市民、広場、この三位一体を語り、当時の学生の心を打ったのだった。
で、私も、羽仁五郎の講演を聴きに行った。壇上に上った羽仁五郎は、少なくとも私の近辺にはいないタイプの風貌で、銀髪の老人なのに、日本の伝統的老人のような柔和さはなく、悟ったような静けさもなく、強い表情でしゃべり、そして何よりファッションが歳に似合わず若く、オシャレだった。
壇上に上がって、まず語りはじめたのは、フィレンツェの市庁舎前の広場の光景だった。中心にはミケランジェロ作のダビデの像が立っていて、おしよせる敵に向かい、今にも石だか円盤だかを投げつけようとしているその光景。その姿にこそ、自由で自立した当時のフィレンツェの市民の理想が込められていると。
聴いている学生も市民も、イタリアなど行ったこともないし、将来行けるとも思っていない。当時、外貨の不足から海外へ行くのは制限されており、政府派遣の留学か、商社の駐在員か外交官か、ようするに仕事でなければかなわぬ夢だった。
そんな聴衆に向かって羽仁五郎は、自分が見たフィレンツェの広場の光景を語るのだった。