その日は、たまたま弘法大師の月命日。毎月21日は、四天王寺境内が縁日となると聞いてはいましたが、ふだんは閑散としている境内が、打って変わって、人・人・人。所狭しと連なる屋台で売られているものは、衣類、女性肌着、着物、靴、カバン、金物、陶器、果物、野菜、古いレコード等々、何でもありの大雑端市で、特に年配の方があれこれ買い物を楽しんでおられました。お参りに来たのか、買い物に来たのかわからなくなりそうな雰囲気でしたが、昔から、“観音めぐり”や“お大師さんまいり”などの信仰と花見や縁日などのレクリエーションは一対であって、人々の愉しみだったといいます。
四天王寺には、落語の「天王寺詣り」という作品に出てくる箇所が、現在もかなりの数、残っており貴重です。石の鳥居、ぽんぽん石、輪宝輪(りんぽうわ)、亀の池、石舞台、亀井堂……。また、四天王寺の近くにある、一心寺、安居神社も、落語の「天神山」という噺の舞台になっていますが、現在も変わらず参拝できるのは大変嬉しいことです。しかし、吉坊さんは、こんなことを言われていました。「手をあわせて祈るまわりの空気感が、昔とは違いますね」。
吉坊さんは、噺の時代背景を想像しながら高座に上がるそうですが、その噺の舞台である界隈について自分が抱いていたイメージと現在の雰囲気がずい分違うというのです。
「四天王寺は、物乞いがうずくまっていて、死んでしまった人もいたであろう場所というイメージで、悲劇性が高い。生と死が近いんです。今は、まちや寺にいても、おどろおどろしい空気がなく、死の雰囲気があまり感じられませんね」と吉坊さんは話します。お客さんを笑わせるイメージのある落語家から、そんな言葉が出るとは意外でした。
上町台地は、かつては、すぐ西方に迫る海に沈む夕陽が美しく、西方に極楽浄土があるという「日想観」という夕陽信仰が根付いていました。中でも四天王寺西門はそのメッカで、海の方へ拝みながら入水し、そのまま深みに進んで死んでしまう人もいたといいます。また、「俊徳丸」や「弱法師」など、説教節や能の作品にも出てくるように、身寄りのない人、病んだ人などが四天王寺境内には大勢いて、夕陽が真西に沈む彼岸の日に、別れた身内に会えたり、病が治癒したりします。目に見えないものへの信仰心、畏怖が、物語の中にも反映されていると気づかされます。
最近は、道路や各施設が整備される中で、この界隈に、死に近い“異界”としての味わいが薄れてきているのは確かです。しかし今でも盆や彼岸になると、大勢の人が足を運んで行列になるほど賑わうという風習は一つの大阪の風物詩にもなっています。時には、古典の世界にも触れながら、上町台地、四天王寺界隈を見直したり、自身の信仰のあり方を考えてみるのもいいかもしれません。また、彼岸に、夕陽が四天王寺の西門のど真ん中に沈む瞬間を一度見てみたいと思いました。