最近、一気に読んだ本があります。『きみはいい子』(中脇初枝著、ポプラ社)。大型書店の新刊本コーナーで平積みになっており、その書店や出版社から、絶対オススメだという手書きのコメントがいくつも貼り付けてあったので、つい手にとりました。
いろいろな家庭の事情の中での、子供の虐待を軸に、学校の先生、母親、父親、近所のおばあちゃん等の視線をまじえて描かれている短編集です。描写にリアル感があり、筆者自身の身近に、自殺をした子供がいたといいます。 私が一番気になったのは、加害者の心境です。特に母親が子供に対して、暴力をふるうシーン。例えば、夫が海外勤務になり、実質母親が一人で育児をするうちに、言うことをきかない幼い子供に手をあげてしまいエスカレートしていく。母親も自己嫌悪に陥りながら、おさまらない。自分も親から虐待された経験をもち、自分は悪い子なのだと思い込み、それがトラウマで、同様にわが子にも繰り返してしまう。育児のつらさを一人で抱え込む孤独感と、それを緩和できる親や人生の先輩がそばにいないことが引き金になっています。
私も、出産後に育児休暇をとり、昼間はほぼ子供と1対1でした。自身のアイデンティティを見失いそうになりながら、あまりに頻繁にむずかる幼いわが子をもてあまし、こちらが目を離しても一人で遊んでくれる“おもちゃ”を求めて、半べそをかきながら、遠方のショッピングモールまでベビーカーを押して歩いていったことを思い出しました。頻繁に実母に電話をし、夜には夫も帰宅しますが、それでもしんどかった記憶があります。泣きたくなるような思いをぶつける相手がいなければ、虐待につながるのもよくわかります。この短編の中で、ある母親は、自分にとってはやっかいでしかなかった知育障害のある息子を近所に住む見知らぬおばあさんに誉められ、挙句にうらやましがられ、目からうろこが落ちたように、はじめて明日に希望が持てるようになったという物語があります。他の物語も、すべて同じまちを舞台にしており、ほんの少しずつつながっていくところが印象的でした。
やはり、核家族だけでは、(親が相当の人格者でなければ)育児は大変です。社会的なビジネスサービスも増えてきましたが、もう1つ上の世代の、経験と適度な距離をもった智恵や励ましがあれば、また地域が拡大された家庭としての役割を少しでも担うなら、親も子も、もう少し楽になるでしょう。
最近は、いじめ問題が、マスコミで浮上しています。殺人未遂に近い状態の例もあり信じられませんが、きっと氷山の一角に違いありません。その問題の根深さにぞっとします。虐待やいじめが世代を超えて悪循環を起こすのならもっと怖いです。教育委員会や教師側はもちろん、家庭や地域などの環境も含めて、ひと昔前にはあった、その大事な機能が縮小し続けていることを痛感せざるをえません。おせっかいだらけで、誰に何と言われようと、他人であろうと、気がついたら見ないふりができない、長屋のような風通しのいい環境、ほんの短時間でも、あたたかい家族的なつながりを持てる機会づくりが、子供や家族をとりまく社会の中で切に望まれます。