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2012年11月14日 by 栗本 智代

時を超えて、タワーのまちに生き続ける娯楽の神様

今年は、まさにタワーブームに沸いた年でした。5月には、東京浅草にスカイツリーがオープン。タワーの高さは、634メートルと電波塔として世界一を誇っています。工事中の時期から、地元も観光客もまじえて見学者が絶えなかったと聞きます。私も、完成の半年前頃、「現在○○○メートル」という表示がされている工事現場に、上京ついでにわざわざ足を伸ばして見に行った一人です。スカイツリーの完成は、全国的なタワーブームに火をつけました。「スカイツリーもいいけど、まずは、わがまちのタワーに登ろう」と、各地方の高層展望タワーが改めて注目されました。

2012年のタワーイヤーに、偶然にも「通天閣」が100周年を迎えました。その日に向け、数年かけて各所のリニューアルが行われ、1つ完成する度にメディアに取り上げられたせいか周知が徹底して、週末は1〜2時間待ちと、ユニバーサルスタジオ顔負けの人気ぶりが続いています。

スカイツリーにしても、通天閣にしても、その立地、エリアが紡いできた歴史と深く関わっているのが興味深いです。

スカイツリーのある浅草周辺は、実は、明治期、展望台付タワーのはじまりの地でありました。明治20年、ハリボテの「富士山縦覧所」がつくられ、それが、大阪にも展望台ブームを呼び起こします。大阪が浅草を真似て「なにわ富士山」を生国魂神社近くに造ったかと思えば、今度は浅草側が、大阪茶屋町にできた9階建ての高層楼「凌雲閣」のネーミングだけそのまま引用して、さらに高い12階建てを、明治23年に建てています。日本初のエレベーターがお目見えしたのも、この浅草凌雲閣です。明治期から、タワーのまちであり、娯楽のまちであった浅草。今日、スカイツリーが完成したことで、まさに長い時間を隔てて、歴史と未来がつながった訳で、特に地元の人を奮起させ、元気を生む源はここにあるのではないかと思います。

 通天閣も、明治45年、新世界がオープンしたときに初代が完成します(写真)。憧れの欧米を模した盛り場・享楽の場の象徴として注目を集めましたが、火事で焼け、戦時体制で鉄材として供出され姿を消します。現在の2代目の塔が完成したのは、昭和31年。行政にほとんど頼らず、商店街の店主を中心とするキーパーソン達の熱い思いと庶民の協力により、当時のお金で3億円以上もする巨額な工事費の回収をはじめ、度重なる苦難を乗り越えてついに建った、という、史上かつてない奇跡的な出来事だったといいます。

初代創業から100年を迎えた今年。展示室も模様替えして、秀吉の茶室よろしく金ぴかになり、ビリケンさんも3代目に交代。金色をした3代目は内部が空洞になっているため、その胎内仏をイメージしてつくられた、本物の金箔で覆われた「びり金さん」が、つい最近披露されました。徹底したコテコテぶり、ユニークな発想力には脱帽させられます。恒例の干支の引継ぎ、節分の豆まき等も大阪の歳時記として続いています。

明治末期から、長年にわたって、誘客のための魅力づくりに苦労をしてきた新世界には、浅草に勝るとも劣らぬ、娯楽の神様・大衆的な盛り場の地霊が棲んでいます。通天閣はその象徴。愛されるべき大阪文化の“へそ”です。我々を楽しませてくれるソフトも含めて貴重な文化遺産として、存在の大きさを再確認したような気がしました。

 

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