先月、娘の七五三のお参りに行きました。数え歳七歳です。娘は普段、着物を着ることなど全くありません。しかしこの日は貸衣装ながら、きれいな着物を着せてもらい、髪も結い上げ、うっすらお化粧もしてもらって、ご本人はご満悦です。千歳飴と祝い笹をもらい、カメラの前でポーズを取り、すっかりお姫様気分。来年も七五三をしたいと言い出す始末です。
七五三は、ご存知の通り、3歳、5歳、7歳の子どもの成長を祝う行事です。ウィキペディアで調べてみると、「旧暦の15日は、かつては二十八宿の鬼宿日(鬼が出歩かない日)に当たり、何事をするにも吉であるとされた。また、旧暦の11月は収穫を終えてその実りを神に感謝する月であり、その月の満月の日である15日に、氏神への収穫の感謝を兼ねて子供の成長を感謝し、加護を祈るようになった。明治改暦以降は新暦の11月15日に行われるようになった。」とあります。近世までの日本は乳幼児の死亡率が高く、生存を祝う節目として定着したそうです。
そこでご覧いただきたいと思うのは、図のグラフです。これは、ある意味で少し残酷なグラフです。10万人の乳児が生まれたとして、年齢ごとの生存数を示したものです(河野稠果著『人口学への招待』より)。この表をみると、2005年のデータでは、生まれてきた乳児のほとんどが成人式を迎えます。しかし、1921〜25年のデータでは、例えば男の子の場合、5歳までに約25%の子どもが亡くなっていた、ということがわかります。そして当時の20歳時点の生存数が約7割であることを考え合わせると、7歳まで育ってくれた子どもは、かなりの割合で成人式の時期を迎えていたこともわかります。七五三のお祝いができるかどうか、それはその子が大人になれるかどうかを占うものであったと考えられます。そのお祝いが、如何におめでたいものであったのか、両親の大きな安堵とうれしさの高揚、それを象徴するような晴れやかな着物に身を包む子ども達。現代とは比にならないほどの、大きな喜びにあふれた行事であったのだろうと想像します。
改めてわが子。20歳までの生存率がほとんど100%の現代ですが、よくぞ育ってくれました。ありがとう。・・・・ま、現代っ子はここからが長いのですが!