ある日、e−mailで友人から送られてきたフォルダーを開き、現われた数枚の絵を見てはっと息を呑みました。山を背にした古民家に漂う気配、菩提を守るお寺の佇まい、渓谷を巡り木立を育む川の流れ、集落の甍の波に重なる山並み、林へと分け入っていく道…。そして急転直下、林立するビルの谷間を走る電車、東京近郊の風景、妻の肖像。まるで、魂がそのまま形になって、紙の上に焼き付けられているかのようだと思ったのです。
作者は蛭田満さん(82歳)、友人のお父さんです。私が思わず息を呑んだ絵は、著名な画家の作品ではなく、絵画の勉強をした人の作品でもありません。絵を描く趣味があったわけでもないそうです。2011年3月11日まで、福島県双葉郡楢葉町の旧家で、山に抱かれ海にも近い環境に親しんで、夫婦二人で長閑な暮らしを送られていたと聞きました。
しかし、東日本大震災による原発事故で、楢葉町のほぼ全域が警戒区域に。ご夫婦はとるものもとりあえず、子どもたちが暮らす東京へ避難されました。翌2012年8月10日、楢葉町は避難指示解除準備区域に再編されましたが、2013年5月現在も夜間の滞在はできず、除染作業やライフラインの整備が少しずつ進められてはいるものの、暮らしの復旧の目途は立っていない状態が続いています。
お父さんの絵は、ある日突然慣れ親しんだ環境から引き離された混乱を経て、避難先での生活のリズムをつかむ心身の格闘のなか、自力で生み出されたものでした。記憶の奥底へダイビングするかのように、描き出されていく楢葉町の風景から、目の前に広がる東京近郊の風景へ、魂の軌跡を見るかのような世界が広がっています。
先日のゴールデンウィーク、避難先のお住まいにおじゃまして、その後の作品の数々も含め、原画を拝見しながらお話をうかがうことができました。私はさらに驚きました。東京近郊が開発される遥か以前、原野に思いを馳せて描かれた作品、現在の街並みに埋もれつつ、生き残っている農家の姿を捉えた作品、さらには、まさにリアルタイムで若者たちが集う街角の息吹を伝える作品…。
こうした作品をご近所の公園で描きながら、学校帰りの若者たちと会話を交わすのも、大切な営みの一つになっているのだとお聞きしました。「若者たちに、しっかりと社会の舵取りをしていってほしい」「絵を通した会話が、子どもたちの成長の役に立てば」と。身を置く土地や人々への敬意、大地につながって生きることの意味、次世代に託す思い、お父さんの絵が物語っているのは、追憶ではなく、今日只今を生きる証であり、未来への伝言だと気づかされたのです。
※写真は蛭田満さんが避難先で描いた楢葉町の自宅風景(左上から、母屋、味噌部屋、左下から、土蔵、厩のあった納屋)