街中の教会や倶楽部、レストラン、バーなどで、同時多発的にジャズが鳴り響き、ジャズファンたちが、個々に組まれたプログラムをはしごをして聴きまわる……。「神戸ジャズストリート」と題したイベントが今年も10月、2日間にわたり、三宮・北野町・トアロード界隈で開催されました。
1930年代半ば、ジャズを聴かせる店が軒を連ねていたニューヨークでは「ストリートへ行かない?」というとジャズを聴きに行くことでした。神戸でも「ストリートへ行こう」と言うだけでジャズを楽しむという合言葉になればと、名づけられたのが、第一回目の1982年。それから「ジャズストリート」というネーミングが多用され日本のあちこちで使われているようです。が、オリジナルの神戸では、まちおこしではなく、純粋にジャズを鑑賞し、伝統の音楽を再現することが、売り物になっています。
実は神戸は、プロのジャズバンドが日本ではじめて誕生したまちです。ニューオリンズで発祥したというジャズ音楽が、日本にはじめて伝わったのは1900年ごろ。どこから上陸したか、神戸港、横浜港、大阪港と諸説ありますが、開国後、外国人居留地を玄関として日本に浸透していったのではないかと想像できます。1923年(大正4)4月。宝塚少女歌劇団オーケストラ出身の井田一郎をリーダーとするラッフィング・スター・ジャズバンド(ラッフィング・スターズ)が神戸で旗揚げします。これが、日本初のプロのジャズバンドでした。その後、井田をはじめとするプロのジャズメンは、大阪、東京へと拠点を移し、ジャズファンは全国に拡がります。戦時中は禁令が出されたり自主規制されたりしましたが、戦後、日本に流入してきたアメリカ音楽の筆頭にジャズがあり、大衆化していきます。神戸や阪神間でも、学生を中心にデキシーランドジャズ・バンドが数多く生まれています。
さて、今日の「神戸ジャズストリート」。偶然にも1つのライブに、知人のピアニストが出演していたのですが、そのユニットは、まさに情熱的なリズムとアドリブではじけていました。ついでにと、歴史ある外国倶楽部でのプログラムものぞいてみました。が、ちょっとのつもりが席を立てなくなってしまいました。海外からのゲストアーチスト達を交えた、世界レベルのプロ中のプロたちのセッション。サックスやトランペットの澄み渡る音、ピアニストの指は鍵盤の上を舞い踊り、どこかで聞いたことのあるスタンダードジャズ音楽のオンパレード。プロ同士が相手の出方を見ながら、尊重しあいながらも得意技を披露する独奏のリレー。満席の会場は、リズムに揺れ、踊りだしそうな年配の女性の姿も。ジャズとはこんなに楽しいものだったのか、こんなに素晴らしいものかと改めて知りました。このイベントを支える、揃いのTシャツを着た地元スタッフの笑顔も大変心地よく感じられました。。
ジャズの街、神戸を誇りに思い、各施設やスポットを舞台にした「場」づくり。ファンも街もスイングしてしまうこのイベントが、震災を乗り越え、もう32回も続いています。それぞれの立場で関わる方々の思いを想像しながら、仕掛けや演奏に感激し、来年はもっとじっくり味わおうと思ったのでした。