コモンカフェを出てしばらく歩くと、大都市を感じさせないような時空間に突入する。梅田から10分の徒歩圏に、時を忘れるような落ち着きが溢れ、凛とした品位を感じさせる住まいの空間が突然現われる。主屋は明治・大正・昭和の大大阪時代の豊かさを象徴するような、建物、庭、品の良さを、感じさせる柱・梁、華美ではないが凝られた造作、そしてしっかりと住み続けている家族の記憶がこめられた住まいだ
この豊崎長屋(主屋は長屋という言葉が相応しくないが…)は、まさに現代と歴史が混然とする空間だ。300坪の敷地の中央を3メートルの路地が南北を貫き、明治から大正期に建てられた大きな門構えの木造軸組構造の主屋(本宅)と貸し家である長屋群からなる豊崎長屋。大阪市立大学豊崎モデル「いきている長屋」として全国的に有名となった
その現代と歴史の混然さという体験は、御堂筋を歩いているときにも時々感じる。御堂筋の日本生命本館から内北浜通りに入ると、船場のビル街に、木造の愛珠幼稚園の隣に木造の建物に遭遇する。緒方洪庵が明治後期に開いた蘭学の私塾「適塾」だ。福澤諭吉や大村益次郎をはじめとする幕末・明治維新で活躍する若者が一心不乱に学んだ塾。船場には、近代ビルと江戸期の木造建物が小さなエリアで混じりあっている。時間幅の混然は都市の魅力を高める
中崎町のプロジェクトは大阪市立大学がかかわった奇跡的な豊崎長屋再生の物語である。これは、決して、歴史的建物は建築技術のみならず技術論を超えた数多くの課題解決に向けた努力があってこその奇跡だ。しかしながらこの奇跡の空間は、本宅にお住まいになられる方の想いと、複層的な課題に真摯に向き合い、継続的かつ総合的な関係者の活動があったからこそ実現したのである。いや、それは、今も続いている
(エネルギー文化研究所 所長 池永寛明)
〔CELフェイスブック 6月24日掲載分〕