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2017年03月17日 by 池永 寛明

【場会篇】 玉造黒門越瓜物語1「地名には歴史がある」

   

 

23年前、NEXT21に住んでいた。NEXT21は大阪市天王寺区清水谷に建っている。江戸時代、大坂には酒造業が多く最盛期600軒もあったという。文字どおり水が綺麗だった。清水谷という地名は上町台地から湧き出た清水に由来して、千利休が茶を点けたというほどだ。地名には意味がある。地名というと忘れられないエピソードがある。司馬遼太郎氏が中学時代にニューヨークという地名に疑問をだき、先生に「なぜニューヨークというのか?」と訊いたが「ニューヨークはニューヨーク」という返事だったので納得できず、図書室の本で調べて「イングランドのヨーク公に由来する地名」だと判ったという。地名には意味がある、記憶ある、歴史ある。

 

NEXT21に住んでいたとき「玉造」という地名が不思議に思っていた。住宅と商業施設、学校などビルが林立する現在の街は、150年前の江戸時代までの玉造は大阪城天守閣の城南にあたり、多くの武家屋敷と商家と農地のある街だった。それに先立つ豊臣時代は前田利家、千利休、細川忠興などが住む武家屋敷が並んでいた。そもそも豊臣秀吉が大坂のまちづくりをする100年前に蓮如が大坂御堂(のちに大坂本願寺)を核とした寺内町だったころの人口は数千人だった。豊臣秀吉が1583年に大阪城を核に40万人が住む巨大な街となり、いったん江戸時代に入り人口は減少するものの、商都という戦略的位置づけを与えられ、再興し江戸時代の大坂の人口2040万人が住み働く大都市に蘇る。この人口急増の数字を考えると、大坂は豊臣秀吉と徳川家康が創った都市といえる。

 

しかしながら蓮如が登場するまでの900年もの間、大坂は歴史の表舞台から消える。奈良時代に再建された難波宮が長岡京に都が移転するまでの150年前後の間、上町台地が日本の首都であったが、その頃の玉造は難波宮の外交、交通の要衝であった。そして玉造の地名につながる玉造部は、古墳時代中期に勾玉作りをする専門職人が活動していた。さらに歴史をさかのぼる縄文時代中期(5000年前)、上町台地の北東に位置する場で玉作岡と呼ばれ、狩猟や自然採取・漁撈生活を過ごしていた。それが玉造という地名の由来であった。地名には歴史がある、記憶がある。このこと23年前NEXT21に住んでいるときに知っていたら、上町台地が玉造が違う風景に見えていただろう。

 

NEXT21にて催された「上町台地・今昔フォーラムol 6」(担当:弘本由香里特任研究員)で学んだことを4回シリーズで投稿する。

 

(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明、特任研究員 弘本由香里)

 

〔CELフェイスブック 830掲載分

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