地域にとってのエネルギーをどう考えるか話すために明石を訪れた。20年前は明石海峡大橋が開通する少し前で、明石駅前ビルや商業施設が新しくなった以外、明石城および魚の棚商店街などの市街地の雰囲気・様相は変わっていなかった。
そもそも明石は、夜になると西から明るい土地に見えるため「あかし」と呼ばれ、近畿・畿内の西の入り口に位置している。また林崎松江海岸に沈んでいる岩肌が赤く見えることから「赤石」が転じて「明石」となったともいわれている。そういういわれのなか、奈良時代に「明石」という地名がうまれた。
有名なのは平安時代に書かれた源氏物語の「須磨」「明石」の巻。光源氏栄達への転機となる「明石の君」との出会いという復活の場として、紫式部に明石が舞台に選ばれている。実に歴史的な色彩のある街だ。日本標準時の基準となる東経135度子午線(明治43年より)を通る街で有名な土地だ。
ともあれ20年前の1年間勤務していた海と山と明石海峡大橋のある明石で、「これからのコミュニティ・エネルギー」の話をさせていただいた。
エネルギーという言葉、分かるようで分かりにくい。本来、エネルギーとは「仕事をする力」のことだが、明治に入りドイツ語の「Enegie」を日本人が「燃料」と日本語訳したことが混乱の始まり(ちなみに中国では「能源」と訳した)。
資源や燃料(石炭、石油、天然ガス…)をエネルギーと言ったり、発電所やガス製造所や太陽光発電などのエネルギーを作り出す「1次エネルギー」のことを言ったり、冷房・暖房・照明・給湯・蒸気・厨房など、実際に使う段階の「最終エネルギー」を指したりと、エネルギーという言葉は色々な段階で使われ混同されている。言葉は大切なのだ。
そんなエネルギー論で150年間を経過しているが、本当は「エネルギー・バランス・フロー」、つまり<資源→エネルギーへの変換→最終的に使うエネルギー>という流れでつかむ必要がある。
太陽光発電をみんなで設置して、その電気を地域のみんなで使おう、生ごみからバイオエネルギーを取り出して電気と熱に変換して地域のエネルギーとして使おうという「エネルギーの地産地消」が地域創生の文脈で話題になっているが、エネルギーをつくる→エネルギーを使うという<供給→需要>という流れで考えるのではなく、地域の人々に必要なものはなにか?それを動かすためのエネルギーはどれだけ必要なのか?←そのために地域でエネルギーをつくる・段取りするという<需要→供給>という流れ、今までとは逆の視点で考えることが大切である。
「エネルギーありき」を発想のスタートではなく、「地域の人々にとって必要なものはなに?」から考えよう。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔CELフェイスブック 9月6日掲載分〕