「世界でいちばん住みたいまち」と言われるメルボルン。5年連続で世界でいちばん住みたいまちランキング1位になっているメルボルンも20年前は週末になると閑古鳥が鳴くほど都心部がゴーストタウン化していた。メルボルンの中心部は平日昼間に働く場所であるが、夜間・週末の場所ではなくなっていた。
「Place of People」で有名な世界的都市計画者であるヤンゲールに、①メルボルンで何が起こっているのか?②何が変わろうとしているのか?との視点から調査をして、メルボルンのあらゆる場所を徹底的に観察し、街と人の動きを写真に捉え、「ビルとビル、ビルと空間と人とのインターフェイス」に着目して、「ビルという建物をオフィスだけの単一用途から二重用途(オフイスおよび住宅・小売り、飲食などを含めたビルの使い方)」への転換、ビルとビルの間の路地という空間に着目して、「路地(レーンウエイ)文化」が提言された。
そもそもメルボルンには、シドニーのようなオペラハウスのような圧倒的なアイコンがあるわけではない。メルボルンを訪れてもらうため、レーンウエイ、芸術、スポーツ、文化、レストラン、ショッピング、市内の古い建物、古い街並みを含め、街全体でメルボルンを感じてもらうことをメルボルンの最大の戦略に位置づけた。
そして、世界企業のアジア・オセアニア支社・工場を誘致するため、まずメルボルンと競合する都市をベンチマーク。そしてその世界企業の駐在員と家族が5年間、メルボルンに住んでもらうために、どのようなまちならば選択してもらえるのかを考え抜き、「住まい」「学校」 「医療」 「スポーツ」 「文化・芸術」 「食」 「アミューズメント」の観点で世界でいちばん暮らしやすい街、いくつもの「中心」をもつメルボルンスタイルが体験できるハードウエアとソフトウエアを再構築した。
このようなメルボルンの住みやすさをつくることに加え、メルボルン市内に会社、事務所を構えることで、生産性が高くクリエイテイブな仕事ができるように、都市部に高密度な機能を集積し、人と人とが密度高く接触、対面ができるようなつながりが図れる街をめざした。そういうまちに向けた改革が進められ、メルボルンの中心部に住む人が少しづつ増え、事務所が増え、大学が開設されることで学生が増え、メルボルンは世界でいちばん住みたいまちとなった。
メルボルン市が世界でいちばん住みたいまちとなった成功要因は企業が展開しているような驚くべきマーケティング戦略が策定され、長期的な視点で官民学が連携して実践しつづけたため、と感じた。
メルボルン市の変革は、理論と現場での具体的な実践活動の成果ではないか。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔CELフェイスブック 5月19日掲載分〕