「空が広くて山の緑がともにあって解放感がある。混雑するほどではないが、人の往来が十分あって街に活気や賑わいを感じ、寂しくない。人の規模もほどよい程度の都会であることに、神戸の街の居心地よさを感じて、はっとした」
神戸市のある女性が用事があって大阪に行ったあとに神戸に帰って、呟いた。街というものは自然と人工のもので形成される。山と海とまちで構成される神戸に対して、湖、海につながる川と堀、通り・筋と街で構成される大阪。
秀吉・秀頼、徳川による大坂の歴史的都市戦略が大阪の町名・地名のいたるところに残っている。平野町、伏見町、安土町…。なによりも大阪−奈良・京都・兵庫−滋賀−福井をつなぐ水路・陸路ネットワークを核に「港湾交易都市」として大坂は形成された。モノ・コト・ヒト・情報がここに集まり、融合し、化学反応をおこし高度な文化経済が生み出され、日本国内に広がった。
11月5〜6日に「生きた建築ミュージアムフェスティバル大阪」が開催された。
古代から室町・江戸から現代までの「世代の混合」と「時間幅の混然」と川・堀と緑と建物という「人工と自然の混和」などが大阪の街にあると、建築史家である大阪市立大学の倉方俊輔先生と議論したことがある。
これら大阪の近代建築は今も現役で息づいている。そこで働く人も、そこを訪れる人もいる。決して「博物館」でも「美術館」でもない。
たんに“古い建物がある”という歴史的建築物鑑賞ではなく、「なぜこの建物がここにあるのか?」「この建物と地域や地域の人とどういう関係なのか?」「この建物が町に、日本に、どのような影響を与え、なにを残しているのか?」を考えながら、「生きた建築」を歩いた。
しかしながら、建物を建築学的目線で建物(コンテンツ)だけを見るのではなく、その建物ならびに建物がある地域がもつ背景、文脈、時代、歴史、状況(コンテクスト)をあわせてさぐることが大切だ。コンテンツと、コンテクストを繋ぎあわせると、真の意味が見えてくる。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔CELフェイスブック 10月31日掲載分〕