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2017年04月05日 by 池永 寛明

【場会篇】 人と人が交流する町、学びあう町・船場

     

 

オフィスは昼の人口を増やし、昼間を活性化させる。住居は夜の人口を増やし夜間を活性化させる。大学は学生の生活パターンから昼夜を活性化させる」

シドニーの都市計画家の言葉。オフイスだけだったシドニーの中心部に大学を戻し、まちを歩く人を飛躍的に増やし、土日はゴーストタウン化するシドニーの中心部を、平日のみならず土日、昼夜、タイムラインすべてを活力ある魅力的なまちに変えた。

 

大阪ガスビル本社が位置する「船場」もしかり。かつて「倒産通り」「シャッター通り」と言われるなど、船場のビジネス街は大阪地盤沈下の象徴のように言われた時期があった。

 

400年前に豊臣秀吉がつくった大坂城・大坂城下の都市開発のなか、船場は「町人地」として都市計画に位置づけられ、通りをはさんで業種がまとまった「両側町」が形成された。この両側町ごとに町会所(集会所、役場)がもうけられ、町のルールである「町式目」が設定され、極めて高度な町の自治がおこなわれていた。今、まちづくりで話題となっている「エリア・マネジメント」のような仕組みが400年前の船場でおこなわれていた。

 

大阪ガスビルは大阪の南北を貫く御堂筋に面しているが、江戸時代は大坂城が中心で東西の通りがメインであり、道修町通と平野町通に位置している。それは大阪ガスビルの入口が通りに面していることが物語っている。

その道修町通は薬の町として知られている。日本を代表する製薬会社の多くの本社がここに集中している。稀代の都市デザイナーである豊臣秀吉が大坂を一大商業ゾーン(のちに「天下の台所」)とすべく誘致した商業・産業のひとつが薬で、薬種店が道修町に集められた。

  

長崎に中国船やオランダ船にて運ばれた「唐薬種」は、道修町にある幕府公認の「薬種中買仲間」に集められ、検査のうえ道修町から全国に流通された薬ビジネスの中心だった。船場・道修町に薬が集められるだけでなく、国内外の情報が交流し、懐徳堂や適塾などを筆頭に学び場が集積する日本有数のナレッジセンターでもあった。このように人が商品とともに情報を運びビジネスが生まれ、町人文化が生まれる町だった。

 

あるとき、江戸時代から商売されている製薬会社の社長さんに、どうしてここに本社をかまえつづけておられるのですか?とお訊きしたところ、「ここ道修町には神農さん(少彦名神社)がおられるから、どこにもいけません」と真顔で話された。船場・道修町の凄さを知った。

 

その船場に人が戻ってきている。地元の人々、船場のまちづくり団体、大阪市などの努力で、この10年で船場は大きく変わった。近代建築がリノベーションされ、素敵な店も増え、また人が増えてきた。船場のまちの本質である「人と人が交流する町、学びあう町」に向けた取り組みは現在進行形である。これから、働く人、住まう人、訪れる人に加え、学ぶ人が必要だろう。

 

エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)

 

〔CELフェイスブック 1011掲載分

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