港は英語でPORTという。PORTの語源はラテン語のPORTUS(運ぶ)。英語の語彙でみると、EXPORT、IMPORT、PASPORT、SUPPORTとPORTは広がっていく。まだある、REPORT、RAPPORT、SUPPORT。さらにDISPORT、SPORTへと広がる。なによりもIMPORT(輸入)はIMPORTANT(重要)となる。つまり、輸入がその都市、国にとって重要だということ。それくらい港=交易が都市において大切だ(松岡正剛氏の「千夜千冊」参照)。
三宮から神戸港に向かって15分ほど歩く。神戸港の機能が配置されるエリアにあるKIITO(デザイン・クリエイテイブセンター神戸)で開催されている開港150年記念事業「神戸港と神戸文化の企画展・神戸みなと時空」を見に行った。神戸は「港・神戸」が代名詞。
歴史書に登場する神戸という地名は、奈良時代の古事記、日本書紀にも登場する。平安時代の文献には「神戸郷」という地名が出てくる。現代目線でいえば奈良や京都は古都で歴史のある都市で、大阪はさらに古い都市。そのなかで、神戸は新しい都市と思われがちである。
神戸港が開港して150年を迎えた。安政5(1858)年の日米修好通商条約で兵庫が開港場のひとつに指定されたが、京である京都に近いこともあり朝廷からの勅許が得られず、1868年にようやく開港が認められた。しかし港町として知られた兵庫には外国人居留地を設けるスペースがなかったため、東隣の神戸港が開港場に指定され、運上所、倉庫、波止場がつくられ、外国人居留地が造成され神戸港は開港した。それから150年が経った。しかし神戸という地名は150年にとどまらない、もっと長い歴史がある。
神戸という地名の由来には諸説ある。201年に創建した生田神社が神領していた三宮・元町周辺の「神封戸(じんふこ)」から来ているという説。もうひとつは同じく201年創建の長田神社は神戸(かんべ)41戸によって奉祀・護持されており、この「神戸職」から来ているという説がある。どちらもこの地にあった古い神社にまつわる地名が神戸の由来である。
ちなみにその長田神社は1995年の阪神・淡路大震災で社殿、鳥居、灯篭などが大きく損壊したにもかかわらず、参集殿が一か月も地域の避難所、境内は炊き出しの場となった。古来に神戸という地名が生まれた文脈を感じる。
さらに神戸の西の垂水には五色塚古墳という5世紀後半に築造された大和政権の関係者の前方後円墳があった。瀬戸内海を船が西から航行すると、神戸に入ると突然大きな建造物が見えただろう。このような巨大建造物をつくることができると、大和政権の力を示す目的もあったのだろう。かつての摂津の国は大阪・神戸を含めた地域であり、神戸は難波、大和につながる海路・水路ルートにあった。だから神戸は神戸、大阪は大阪、と行政区分的に分けて考えるのではなく、一体としての場として考えることも必要ではないだろうか。
神戸は古代以来、大陸、九州と難波・大和をつなぐ瀬戸内海での交通・輸送の拠点性をもっていた。ミナト神戸は古代より日本のなかで重要な「場」であり、必然の場であった。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔CELフェイスブック 4月6日掲載分改〕