平安神宮はいつなぜ建ったのか?明治28(1895)年、京都で建都1100年記念事業の一環として第4回内国勧業博覧会が開催された。第1回から3回まで東京で開催されていた内国勧業博覧会の京都開催を強く望んだのは、東京奠都に伴う京都の低迷にあった。
京都での博覧会は成功し114万人の方が全国から来られた。平安神宮はこのときのメイン会場だった。博覧会の目玉のひとつが市電で、七条停車場から博覧会場を経て南禅寺船溜りを走った。そのエネルギー源は水力発電。
博覧会の4年前の明治24(1891)年、新たにつくられた琵琶湖疏水を使った日本初の水力発電所「蹴上発電所」より京都市内に送電が開始され、その電気を用いて塩小路から伏見間の日本初の電気鉄道が開業していた。
今につづく「観光都市」京都がこのようにして形づくられていった。今から120年前の風景である。曾祖父、曾祖母が学生さんと同じぐらいの年齢だったころ、この博覧会をご覧になった可能性がある。記憶はつながっている。都市には歴史がある。今、そしてこれからを生きる私たちにとって、歴史から何をどう学ぶかという視点が大切である。
外国の方からよく言われることがある。「日本人は源氏物語を紫式部が書いたことは知っているが、彼女が何故それを書いたのか?その頃の時代背景はどうだったのか?という質問に答えられず、たじたじされる人が多い」つまりコンテンツばかりを追いかけていてコンテクストがおさえられていない。ここに、現代日本の課題があるのではないだろうか?
どう歴史を学ぶのか?平安京はいつできたのか?応仁の乱はいつからいつあったのか?誰と誰が戦ったのか?王政復古の大号令は?…とだけ覚えるのではなく、「時代の変化のメカニズム」を読み解くこと、「時代の変化の構造」をつかむことが真に歴史を学ぶということではないだろうか?
エネルギーが時代とどうかかわったか、どう社会・文化を変えてきたのかという話を「エネルギー文化史」として桜が咲く京都女子大学で話しはじめた。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔CELフェイスブック 4月20日掲載分改〕