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2017年04月28日 by 池永 寛明

【能源篇】 (エネルギー文化史4)産業革命が変えたもの

     

 

北前船や菱垣廻船が日本の海を航行していたころ、イギリスでエネルギー技術による産業革命がおこった。

 

今から276年前に「第2次エネルギー革命」がおこった。

ワットが蒸気機関を発明したのが1741年。ピストンの上下運動を回転運動に変えるという動力システムを開発した。

 

この蒸気機関を動かした燃料は石炭。産業革命の舞台であった英国に大量の石炭が賦存するという地質条件が、英国での産業革命を盤石なものとした。ちなみに電気の単位Wはワット氏のW人名なので大文字。よくKWとかkwとか書く人を見受ける、電気の単位は「kW」である。

 

石炭を燃料とした蒸気機関というエネルギーシステムは紡績や織機の動力源となり、蒸気機関車、蒸気船を生みだし、社会を変え、時代速度が早めた

 

この産業革命を舞台としたマーケティングでよく使われるエピソードがある

産業革命前の主力輸送機関であった駅馬車会社の経営陣は、馬でいかに多くの人を運べるのか、馬でもっと早く運べるかを考えるという経営をおこなっていた。産業革命で新たにあらわれた機関車や自動車に注意を払わず、お客さまを奪われ衰退していった。もしも駅馬車会社が自らの事業を輸送事業者と定義していたら、正しい方向に事業転換が図時代を変えたかもしれない」

 

幕末の日本に話を戻す

薩摩藩の島津斉彬が集成館事業を展開した。鹿児島磯地区に、製鉄、造船、造砲、製薬、ガラス製造、紡績、陶磁、写真、電信などアジア初の西洋式工場群を作った。軍事用としてだけでなく、社会インフラ整備に向けた「実験」的事業をおこない、薩摩藩内にとどまらず各藩公開するという、日本全体での学びの場としたことが国内産業基盤の地ならしとなり、明治維新以降の日本産業の成長につながった。

この集成館ではエネルギー実験も行われている。石炭からガスを製造しガス管を引き、日本初のガス灯がともされた。集成館の各工場への電気は水力発電で賄った

 

明治維新後、東京奠都が行われた。慶応41868)年に江戸を改め東京が帝都に昇格し、東京・京都の2都体制に入る。明治2年に東京行幸が断行され、明治4年に政府機関が東京に移転完了した。

 

明治41871)年に当初遷都が検討されていた大阪の天満に造幣寮に作られた。西洋技術を導入して金銀溶解、貨幣鋳造がおこなわれた造幣寮の工場内に621基、通路に65の日本初のガス灯が設置され、石炭からガスが製造され燃料として使われた。この造幣寮に灯されたガス灯は文明開化の象徴として見物者が殺到した。横浜の馬車道通りに公共用のガス灯が灯されたのが、その翌年

 

そして、明治71874)年、神戸に英国人ハートが都市設計した外国人居留地がつくられ、水道などとともにガス灯がまちづくりにおける社会インフラとして整備された。その外国人居留地のガス灯向けの燃料としてブラウン商会がガスを供給した。この事業は神戸ガスに繋がっていく。

 

明治381905年、大阪ガスが3351戸のガス供給を開始する。大阪市内に送出されたガスにて、ガス灯が点火され、ガスが都市の夜明るくした。

 

(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)

 

〔CELフェイスブック 423日掲載分改

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