「電気」という第3次エネルギー革命がおこった。回転技術が生み出す電気が産業、業務、住宅の様々なシーンに利用され社会を変えた。大規模な発電所がまだ少なかった時代には工場ごとに自家発電が設置され、ガスエンジンも工場の動力として広く使われる。北摂や河内などの山間部には水車が設置され、安い電力を求めて製粉・製薬などの工場の立地が進んだ。現在も東大阪が中小企業のまちとして有名で工場が多いのはこういう背景もある。
明治もおわりごろになって文明開化のシンボルと言われた街の明かりだったガス灯も、明るさ、コストに優れた電灯に変わっていく。日本の人口、産業の発展していくことに伴い、電力需要が急速に伸び、石炭火力発電と水力発電が各地に建設されていく。
この電気を作り出したのが日本産の石炭だった。江戸時代から九州など特定エリアで使用していた石炭は九州・北海道をはじめ全国採掘が進められ、明治から大正・昭和初期を牽引していく。ガス灯や暖房、調理用としての石炭由来の合成ガスおよび製鉄など産業用燃料や石炭火力発電所の燃料として利用され日本の経済成長の基盤を担った。
今から考えると驚く人もいるが、昭和中期までの電力の大半は水力発電だった。水力発電所は昭和初期まで日本の山々の適地に建設されていく。明治から戦前まで日本のエネルギーの基盤は水力だった。
一方エネルギーの担い手はだれだったのか?
明治以降、都市の形成に伴い都市・地域ごとに電力会社や都市ガス会社が生まれ、事業展開していく。日中戦争を契機に戦時国家体制(国家総動員法)にもとづきエネルギー事業体制・枠組みが変わる。電力は電力管理法によって日本発送電と9配電会社に統合され、大阪ガスも1945年に関西の各都市にあった14ガス会社と合併し、「大阪ガス」が生まれる。
1945年8月15日に終戦。壊滅的に破壊された都市、地域の復興・再生とあわせ、ガスインフラの復旧・活動が進められていった。
そして日本は「東洋の奇跡」といわれた高度経済成長に入る。1954年12月から1973年の20年間で、年平均10%の実質経済成長率にて、GNP世界第2位に成長する。復興につづく高度経済成長の社会基盤構築に向けたガス製造・供給インフラを整備を進めていった。
1956年、国は「もはや戦後ではない」(経済白書)と宣言。高度経済成長の象徴として、白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫の「三種の神器」につづき、カラーテレビ、クーラー、自動車の「新・三種の神器(3C)」に代表される家電・ガス機器などの生活商品が暮らしの場に登場することになる。
1970年大阪万博。テーマは「人類の進歩と調和」。様々なチャレンジングな技術・文化が実験されるが、エネルギー的にも福井の原子力発電所から万博会場への送電、日本初の世界最大規模の地域冷房などエポックメイキングなエネルギープロジェクトが行われる。この大阪万博で重要な役割を果たした小松左京氏の言葉が印象的だった ─ 「これで戦争が終わったと思った」と。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔CELフェイスブック 4月26日掲載分改〕