「ショック」という言葉が流行していた。
タイムショック、ニクソンショック、カルチャーショック、そして石油ショック。1973と79年に石油ショックが起こった。トイレットペーパー騒動などの社会パニックが起こったが、戦後、石油中心となった日本経済、日本産業を直撃した。石油が日本の経済・産業システムを支えていたため、石油価格の高騰は日本の社会基盤に大きな影響を与えた。
安価で安定的な石油価格トレンドが一転し、石油ショック以降に、石油価格が乱高下する。この価格の不安定さは現在も続く。そもそも石油は資源国、産油国が中東地域に偏在している。この石油賦存構造にもとづく石油生産調整によってつくりだされる石油価格に世界は翻弄される。日本のエネルギー各社は日本エネルギー経済研究所の「石油の価格動向分析」を意識した経営を行っていた。
エネルギー政策は石油ショック後の 1980年代に劇的に変わる。
石油に代替するエネルギーを開発することと省エネルギーを進めていくという戦略の二本柱だ。
まず石油にかわるエネルギーをつくりだすこと。
国としてのエネルギーリスクをいかに分散するかが論点となり、再生エネルギー、原子力発電、天然ガスなど石油代替エネルギー政策に軸足がおかれる。とりわけ世界に埋蔵するという天然ガスに注目が集まり、天然ガス火力発電と都市ガス用途としての天然ガスへの転換がすすめられていく。産ガス田にて天然ガスを採掘し、液化(LNG)してLNG船で輸入してきた。近年シェール(頁岩)層からガス、石油が取り出す技術、操業システムが生み出されたことで安価にシェールガス、シェールオイルが採掘できるというシェール革命がアメリカで起きる。このように石油ショック以降に中東中心の石油依存に頼らない資源の調達先の分散が進められていく。
二本目の柱が省エネルギー、エネルギーを上手につかうこと。
住宅・業務サービス施設・工場単位にエネルギーを上手に使うことに加え、一日の時間帯ごとおよび年間の季節別のエネルギーロードカーブに着目してエネルギー負荷を平準化しようという戦略が導入される。一日あたり、一週間あたり、年間あたり、エネルギーの需要をなだらかにして、エネルギー量全体をおさえようという戦略がおこなわれた。様々なエネルギーを組み合わせて、エネルギーのリスクマネジメントを図るという「エネルギーミックス」が図られていく。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔CELフェイスブック 4月28日掲載分〕