まちを歩いていると、あっと思うところで、お地蔵さんに出くわすことがある。たとえば住宅地のなかに、ビルとビルのあいだに、商店街のなかに、公園のなかに、お地蔵さんに出会うことがある。いろいろなところにお地蔵さんがいる。
そのお地蔵さんは地域の人々に愛され、いつも花が手向けられている。とりわけ夏の終わりに、まちのあちらこちらで、お地蔵さんの前に、子どもたちが集まり、お菓子を貰っている姿をよく見かけることがある。
お地蔵さんに赤いよだれかけがかけられている。実は江戸時代以前から赤いよだれかけはお地蔵さんに子どもたちを守ってくれるものと信じられていたので、自分たちの子どもの匂いのする赤いよだれかけをお地蔵さんにかけている。このようにお地蔵さんは過去と現代とを繋げる地域のシンボルのひとつである。その近お地蔵さんを核とした地域のコミニュケーションが行われることが多くなった。
お地蔵さん・地蔵信仰の歴史は古く、江戸時代まで、地域の祭りとともに地域の人々に大切にされていたが、お地蔵さんに悲しい出来事があった。明治元年10月での神仏判然(分離)令に端を発する偶発的かつ破壊的な廃仏毀釈の流れで、寺や仏像が破壊されたり、埋められたり、二足三文で売られたりするなか、お地蔵さんもまちから消えた。一時期、地蔵盆も禁止されたという。その後、まちにお地蔵さんがひとつひとつ戻り、まちの人がお地蔵さんをお参りし、お地蔵さん、地蔵盆が復活・再起動している。
今回、エネルギー・文化研究所で発行された「上町台地 今昔タイムズvol8」では、「有為転変、世情によりそい願いを映しよみがえるお地蔵さんとまちの暮らしの縁起」をテーマに、上町台地の人々を取材して、上町台地を舞台としたお地蔵さんを核とした地域の昔と今の記憶を繋ごうとしている。(担当・弘本由香里研究員)
四天王寺そばの六万体町という地名の由来が聖徳太子が衆生救済のために六万体の地蔵を埋めたことからきていること、まちはずれの辻に境界から疫病や盗人などの災いが入ってくるのを防ぐためにお地蔵さんが置かれていたこと、街道沿いの地蔵堂は旅人の道しるべとなるとともに旅人の安全を守っていたこと、町内各所で地蔵祭や地蔵盆にて、町の人たち、子どもたちの安全を守りつづけているということ、地域コミュニティの再生とか活性化、地域創生の議論がたたかわされているが、お地蔵さんは地域の人々をつなぐ地域コミュニティの原点のひとつではないだろうか?
「上町台地 今昔タイムズVol.8」
http://www.og-cel.jp/project/ucoro/event2_kon.html
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔CELフェイスブック 5月7日掲載分改〕