「この学校は日本でいちばん海に近い学校です。まちが流され多くの方が犠牲となったが、実は地震直後に陸前高田の学校内にいた小学生、中学生たちは適切な避難をして、犠牲になった子はいなかった。
地震発生後に子どもたちは山に逃げた。子どもたちは日々、地震に備えた訓練を何度もしていた(しかし学校にいなかった友人たちのなかには犠牲になった子どもたちがいて、傷ついている子どもたちがおられる)」
その海に近い学校の側に立ってみると、子どもたちが無事だったという事実に驚くとともに、311に子どもたちが学校の先生、地域の人々とともに、どう感じながら、どのような行動をとって助かったのかを学ばなければならないと感じた。
陸前高田だけでなく、海に面する地域に接する山の上に神社や寺が多い。それは地域全体を見渡したり、防衛のためだと思っていたが、山にある社寺が、いざとなったときに逃げる場所、津波避難所となったということを学んだ。それだけではなく、過去の体験から石碑などでその津波の高さをわかるようにして、それを繰り返し訓練をおこない、学んで、日常の生活レベルにおとしこみ、自分ごととして地域のなかで身につけてきた。そういう智恵があったはずだった。
それ以上の地震と津波が東日本大震災でおこった。
「リダンダンシー」という考え方が311から広まった。
国土強靭化、レジリエンス、BCP(事業継続計画)という考え方が全国的に広がった。エネルギー会社としてお客さまとともに、有事に何がおこるのか、そのとき市民、お客さま、社員を守るために、何をしなければならないのか、そのためにエネルギー供給しつづけるために何をなすべきかを検討している。
エネルギーの世界で「311から」変わったことは安全・安心のためのレジリエンスという価値観が高まったこと。ひとつのエネルギーソースに依存せず、様々なエネルギーソースを組み合わせ、地域にある資源からもエネルギーを取り出し、いついかなるときでも重要負荷を守るためにエネルギーの地産地消モデルをつくりあげようという動きが広がりつつある。
陸前高田には、川と海に加え、山がある。
箱根山に、「箱根山テラス」ができた。地元の企業が「木と人をいかす」ことをコンセプトに宿泊・滞在施設をつくった。船のデッキのようなテラスが宿泊棟の前に広がり陸前高田が見渡せ、地域の森林資源から木質バイオマスをとり出し地域熱供給がおこなわれている。木々からのペレットでボイラーで熱をつくり、有事における水を確保するため、屋根に降る雨水を貯めている。「311から」生まれた地域エネルギー循環・経済循環システムがすでにうごきだしている。
箱根山テラスから見える陸前高田の時はとまっているようにみえる。
川と海にてつくられた市街地に、かつてあった家、建物、人の営みがなくなった。しかし日々そのまちでの盛り土の工事が311から6年もつづけられている。トラック、ダンプカーが走りつづけている。1000年以上も歴史のあるまち。陸前高田は着実に一歩ずつ、人々を待つまちへと近づいている。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔CELフェイスブック 5月17日掲載分〕