その家のかまどの上に、とても怖いお面があった。
「かまど神」という。近畿の昔の住宅にあったかまどでは、見たことがない「面」である。仏教でいう「三宝荒神」、神道でいう「かまど三神」とは違い、この「かまど神」というお面は宮城県や岩手県南部で見られる面だという。火から家を守る、かまどを守る地域信仰のひとつ。よく知られているひょっとこ(火男)は、これらからきている。
その家にはまるで神社のような大きな神棚があった。
同行いただいた地元の友人に、大きな神棚のことを訊くと、「この地方の古い家では一畳くらいの神棚が普通です」と答えられた。たしかにまえに訪ねた同じ東北の秋田県や山形県での住まいの神棚も近畿と比べるとすこぶる大きい。仏壇も大きい。さらにかまどには「かまど神」もいる。神とともに生活がある、「地域文化」というものの力強さを感じる。
さらに地域文化の凄さを感じる話がある。
陸前高田は江戸時代に気仙地方といわれるエリアにあった。その気仙地方(陸前高田、大船渡、住田町)はかつては伊達藩で、気仙大工と呼ばれる大工集団がいた。極めて卓越した高度な建築技法を有した大工さんで、民家、船、神寺、建具、細具など重厚なものを作りあげる多機能な大工たちだった。
彼らは広く知られ、地元にとどまらず、東北、関東、北海道に行って、各地で独創的な家を、建物をつくりあげる仕事人たちだった。
気仙地方にはそもそも金山があり、かつ漁業で栄えた場であり、重厚かつ高品質な家や建物が求められ、これらの高い要求に応える大工集団が気仙地方に生まれた。高度な技術を蓄えた彼らは様々な地域に行き、仕事をし、その地で身につけた技術やノウハウがまた新たな気仙大工の技術を生み出したのではないだろうか、と思った。
その気仙大工の技術を伝承しようと、「気仙大工左官伝承館」が箱根山につくられていた。その伝承館の庭にモニュメントが置かれていて、明かりがともっていた。神戸にある阪神大震災モニュメント「1.17希望の灯り」の火が、陸前高田の「3.11希望の灯り」にリレーされ、炎を揺らしていた。陸前高田と近畿がつながった。
もうひとつ、近畿とつながる話があった。
陸前高田は「奇跡の一本松」で有名だが、311の前まで広田湾に7万本もの松並木が並んでいた。その松並木が巨大津波で流れた。
その松の流木をつかって、陸前高田の人々が奈良県の東大寺、唐招提寺をはじめ、近畿などの寺院25ヵ寺をまわり、5000人以上の人にひとりひとりノミの刃を入れていただき、たったひとつの陸前高田の「観音像」をつくりあげられた。それを津波で流され、新たにつくられた観音堂に安置された。その「あゆみ観音像」は陸前高田を見守っている。
ここでも、陸前高田と近畿がつながった。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔CELフェイスブック 5月18日掲載分〕