ガスビルの前に、隣の御霊神社の枕太鼓と神輿が来た。
オフィス街に、太鼓の音が鳴り響く。祭りは「日本文化」そのもの。文化とは、そもそもカルチベイト(耕作する、栽培する)が語源。春に土地を耕し、種蒔きをして、水をまき、肥料、養分を与える。夏に風雨を乗り越え、除草、害虫を駆除する。秋に収穫し、冬に翌年に向けてそなえる ─ という一連のプロセスの各ステップが最適化され、各ステップが連続的に実行されてこそ農作物が収穫できる。地域の自然・環境に適した農作物の種が蒔かれ、地域の人々の創意工夫で育てられ、収穫される。このように地域「文化」の違いは、これらプロセスにもとづく「必然」である。
祭りとは、生活文化そのものである。
春の祭りは豊作祈願(たとえば住吉大社の御田植神事など)、夏の祭りは都市における疫病退散(たとえば祇園祭、天神祭など)、地方では害虫払い(たとえばねふた祭りなど)、秋は収穫祭・感謝祭(たとえば新嘗祭など)、冬の祭りは一年のしめくくりと寒さに耐え新年に備える祈りというように、春夏秋冬という自然とともに生きる人々の「祈り」のための祭りであった。
大阪には、夏祭りが圧倒的に多い。
江戸時代の大坂三郷には600のまち、最大32万の人々が住み、働き、暮らしていた。きわめてコンパクトに都市設計された町のなかに人口が集中する高密度・高機能な地域だった。とすると、火事だけでなく伝染病が流行すると、一気に広がるリスクがあった。梅雨から夏にかけて疫病から逃れるため、6月末の夏越大祓がおわると、大阪のいたるところで祭りが行われるようになった。
「枕太鼓」が大阪には多い。
大阪の夏祭りで特徴的なのが願人(がんじ)が乗る「枕太鼓」。枕太鼓とは祭りのはじまりを告げ、神輿を先導する露払い、邪気を払う役割を担う。祭りには神輿(みこし)、地車(だんじり)が登場するが、地車は町の氏子のもの、枕太鼓や神輿は神社のもの。よって地車は町ごとの名誉もあり意匠、飾りが豪華になるのに対して、枕太鼓では太鼓と赤い枕だけで、殆ど飾りもなく、いたってシンプル。しかしながら願人の太鼓の打ち方は凝っている。願人の所作は上方文化の真髄といえる「粋」そのもの。
祭りは神社と地域がおこなう。
まさに全員参加、まちが一体となって進められる。
地域の町々がサポーターとなり、祭りを運営する。たとえば祇園祭りは八坂神社が主催するものと山鉾町が主催するものに分かれたり、岸和田のだんじり祭の地車曳行は「町会」がおこなうなど、神社と町、場合によれば「講社」(天神祭が有名)が祭りをとりおこなう。地域の特徴によって、祭りの運営体制は変わる。
祭りの準備も長い。
1年がかりで準備をしている祭りもある。祭りの前になると町ごとに夕方になると四世代があつまり、枕太鼓や地車の稽古、祭囃子の稽古をしている。おじいさんに、おとうさん、その子ども、さらに孫と。最近は女性の参加が増えている。地域の人々の「祭り技術や祭りの記憶」の継承が地域のなかで確実におこなわれている。
大きな祭りも興味深いが、地域の祭りもチャーミング。今日も、どこかで太鼓や鐘の音が聴こえる。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔CELフェイスブック 7月18日掲載分〕