「どうしたの?と声をかけてくれるのは大阪」
と車椅子の「ミライロ」の岸田ひろ実さん。まちのなかで困ったなと思ったら、声をかけてくれるのは大阪の人。
“どうしたの?”“なんかしよか?”と大阪弁でさりげなく声をかけてくれる。ほどほどの距離感で寄り添い、思いを致してくれる。いい意味でのおせっかい、いい意味での忖度がある。
逆の話がある。電車のなかの風景。
京阪電車の車内に「間違いはだれ?」というポスターが貼っている。
「背負った甲羅を当てないように、リュックはお手元か網棚へ」とのコピーに、混んだ車内に大きなリュックを背負った人のイラストのポスター。体が不自由な方や子ども、妊婦、高齢者にとって、その大きなリュックが迷惑をかけるということに、思いを致せないのだろうか?
まちでよく見かける風景。
梅田の地下街を歩いていると、人と衝突することが多い。観光客が増えて地下街が混んでいるためだけではない。スマホやイヤホンをしている人と、歩いている人がぶつかることが多い。また、歩道を歩いていて衝突することも増えている。自転車が歩道を走ってきてぶつかり、怪我する人がいる。そのことが迷惑をかけるということに思いを致せない時代となったのだろうか?
お土産を“私の思いです”といってお渡しする風景。
お土産は「思い」なのだ。旅行したらお土産コーナーで考えこんでいる人がいる。なにをお渡ししたら喜んでもらえるのかと、お土産コーナーをなんどもまわり、ひとりごとをいいながら選んでおられる。お渡しする人に対する思いという“おもてなし文化”と、“お渡し、頂戴する”という両者の心にお応えする菓子文化が昔から日本で耕された。
お菓子やお酒などお土産には「意味」が込められる。それはたんなる商品、モノではない。だからこそ“相手を思う心”をつつむため、熨斗、包装紙、風呂敷文化が広がった。それは昔から過去から現在という脈々とつながる“思いを致す”という文化。相手の立場で、“聴く”“考える”“見つめる”ということ。それがおもてなしであり、ユニバーサルマナーである。
最後の岸田さんの言葉に、“おもてなし文化”の風景が浮かんだ。
「車椅子の私は行けるお店にばかり行っていたのですが、この前スタッフが商店街のお店に連れていってくれた。その店内に入ろうとすると、料理をつくっているおばさんが店内にいた他のお客さまに、『お客さまが入られるので、席に入れるよう、通してあげてね』と声をかけ、私を通れるようにしてくれたんです」
自分、お店の人、お店のお客さまがそれぞれ思いをつなげ、笑顔がうまれ、和を創りだしたという風景。それぞれが思いを致して、一歩近づけばできるはずだ。
ユニバーサルデザインは、モノや施設だけではない。
人と人とのコミュニケーションという“場”に、「ユニバーサルデザイン」をかけること。それが自然に、まちのいたるところで行われると、“世界でいちばん住みたいまち”に近づく。ミライロさん、頑張れ。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔CELフェイスブック 7月21日掲載分〕