祭りは、「混じり」あう場である。
「混」という文字は、「水」と「まるくまとまる」で構成される。様々なものがひとつのところに集まり、水に混じりあい、溶け込み、まとまっていく姿をさしている。様々な世代の混じりあい、過去と現在の混じりあい、自然と人工との混じりあいが祭りのベースに流れる。
今から1060年前の951年。
天満宮の前に流れる大川に「神鉾」を流したことを起源とする天神祭。神鉾が流れついた場所に御旅所を設け、御神霊が陸路で川岸を行き、舟に乗り大川を下って御旅所に向かったことから始まった。天満宮周辺の氏子、崇敬者が天満宮から河辺の乗場場まで徒歩で行列を組み(陸渡御)、御迎船を仕立てて御旅所に向かった(船渡御)。何度かの中断を乗り越え、1060年間も続けられている祭でありながら、現代人を感動させる斬新さに驚かされる。
天神祭といえば、船渡御に花火が有名。
しかし陸渡御に圧倒される。3キロメートルの氏子、氏地のエリアを行進していく。町人のまちであった江戸時代の大坂で天神祭を奉仕する「講」が業種ごとにつくられた。32の天神「講」ごとに、それぞれの創意工夫された伝統的な「形」を見せる、陸渡御がおこなわれる。動と静の混じりあい、時間軸の混じりあい、多種多様なパフォーマンスの混じりあい、馬や牛と人との混じりあいなど、上質なショーに圧倒される。
老松町で陸渡御を見た。
長い時間軸の歴史性に加え、豊かな物語性と力強く躍動的なダイナミズム、そして多様で幅の広がりが混じりあった「ドラマ」を観た。過去と現在がつながり、内と外とがつながり、絶妙なバランスで編集されている。
東から催太鼓があらわれ、猿田彦と神鉾が陸渡御を先導していく。
鉦と太鼓を打ち鳴らす地車のあと、獅子舞がくる ─ これがすごい。傘踊り、四つ竹、梵天など多彩な獅子舞パフォーマンスがまちに“力”を埋め込んでいく。つづいて猩々山車、采女、稚児、文車、牛曳童児、錦旗、風流花傘、神饌唐櫃、総奉行、前行、前衛、御羽車、御太刀、御錦蓋、御菅蓋、御鳳輦、神童、斎主、鳳御輿、玉神輿と、雅やかで、はんなりと洗練された贅沢な時空間に圧倒される。老若男女3,000人が混じりあい、行進していく。
江戸時代の人はこの陸渡御をどのようにして見たのだろうか。大阪人でも意外に観ていない人も多い。日本の誇るべき「財産」。もったいない。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔CELフェイスブック 7月26日掲載分〕