大阪にケヤキ並木とバラ園のある靭(うつぼ)公園がある。
戦後一時期、飛行場にもなったが、今はテニスセンターのある都市公園である。春はオフィス街にとっての桜の花見の場となる。
靭(うつぼ)─ 魚の名前がついている。
86年前まで、ここは海産市場があった。江戸時代の大坂には三大市があった。堂島米市に、天満青物市と雑喉場(ざこば)魚市があった。
生魚の商いは雑喉場魚市でおこなわれ、ここ「靭海産物市場」では干物や塩魚、鰹節などの干鰯などの海産物をとり扱われていた。北前船をはじめとする船で西廻り航路にて日本各地の産物が「天下の台所」といわれた大坂に運ばれた。
とりわけ干鰯は北海道からはこばれ、干鰯問屋を通じてこの魚肥が畿内の農村や全国に流通し、米作り、綿づくり、菜種づくりに用いられ、農業生産性を飛躍的に伸ばした。急激に増えた江戸時代の人口をサポートした。そういう魚・海産物・肥料にて、日本の農業・産業をささえた中継拠点・要衝である「海産物市場」があった場所が現在、オフィス街にとってのオアシス、「うつぼ」公園となっている。今は石碑にその事歴が残っているだけ、水も舟もイメージできない。
その靭公園にある会議室で、「エネルギー新時代」を語った。
エネルギーの今を考えるうえで、エネルギーはどこから来て、エネルギーをうみだす技術と人・社会との関係はどうなっているのか、地域社会・暮らし・産業においてエネルギーがどういう役割をになったのか、これからエネルギーはどうなっていくのかをお話しした。
“暗闇の夜を明るくして、夜も活動したい” “もっといろいろなものを食べたい”─ そこから火が発見された。
エネルギーの歴史を振り返ると、技術が地域を、産業を、暮らしを変えつづけてきた歴史である。すこしでも便利で、すこしでも早く、すこしでも多く、すこしでも安く ─ という人々の希望・願いを実現してきた。
大切なのは技術でなにをどう変えるのかではなく、人にとってどうありたいのか、どうしたいのか、そのために技術は、エネルギーは何ができるのか、何をしないといけないのかを考えることが、エネルギーを考えるうえで大切であるということではないだろうか。
エネルギーという言葉はよくわかりにくい。
日本は海外からの言葉を翻訳する能力は極めて長けていたが、どうも「エネルギー」という言葉の翻訳はしっくりしない。資源のことをいったり、原料のことをいったり、仕事をする力のことをいったりと、わかりにくい。国の経済産業省も「資源・エネルギー庁」といい、資源・燃料・エネルギーという部局がある。
一方、西洋学問の中国語の6割は日本人が翻訳した漢字という。中国は明治期の日本人が翻訳した漢字を積極的に中国語としてとり入れたが、「エネルギー」は日本人の翻訳語をとり入れず、「能源」という言葉を考えた。エネルギー=能力の源という意味である。この方がしっくりする。
エネルギーとは「エネルギーフロー」でとらえるのが本質。
地域にある資源を変換して、エネルギーをうみ出し、それを生活・産業・地域の事業をするためにどう使うかということ。このエネルギーの流れがどうなっていて、それが人にとってどうなのかという視座でおさえることが大切だ。
「人として、地域として、まちとして、こういうことをしたい → そのためにはこれをしないといけない → それをするためにはエネルギーをどう確保したら、つくったらいいのか」という流れで考えたほうがいい。実際はその逆になっているのだが…。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔CELフェイスブック 8月14日掲載分〕