梅田地下迷宮というらしい。
大阪梅田の複雑な地下街を外国人観光客が「世界有数の都市型迷路」と呼びだした。大阪の地下を初めて歩く方や外国の方にとって大阪の地下はわかりにくいのだろう。
大阪駅から地下にもぐり、阪急、阪神の地下階を南下し、大阪駅前ビルの間の通路を歩くと、右に北新地駅曽根崎地下歩道に出る。左に行って階段をあがると御堂筋に出る。「そねちか」といわれる空間で都道府県事務所が机を並べて、それぞれの地方の観光ポスターやパンフレットが定期的に置かれている。
時間があるとき、立ち寄る。
創意工夫がなされ、おもしろい。都道府県市町村の観光地を網羅的に知ることができる。各都道府県ごとのコーナーを巡りながら、「旅」をした気持ちになる。インターネットやスマホにもビジュアルな「観光案内」はあるが、この「そねちか」のコーナーは素朴だが、とてもリアルで日本を見ることができ、中・高校の文化祭のような仮設なのがいい。
なによりも各都道府県事務所の方々の郷土愛があふれる「目線」、近畿の市町村の旅の担当者の「熱意」が地域の文化をにじませ、それぞれの地域独自の豊かさ、多様性が伝わってくる。定期的に各県の担当者がパンフレットを丁寧に補充している姿をみるが、それも良い。行ってみたいなというパンフレットも見つかり、ついつい鞄が重くなる。
「同じだけど、ちがう」「ちがうけど、同じ」
これが文化の本質である。あるところの言葉や様式や文化が別のところに拡散・伝播し、あるところにうまれたカルチャーという「コード」が、別のところに伝わり、新たなものがつけくわえられ、サブカルチャーとして広がり、新たなものがつくられるという「モード」を生む。
地域と地域の地理的距離、自然と輸送手段が地域の文化形成に影響を与える。海や山や池や川を超え、人と人がつたえ、つたえあう、学び学びあい、「文化」がすこしずつ形を変えて広がっていった。
この地域文化の代表のひとつに、「祭り」がある。
先週青森のねぶた祭りが開催された。ねぷたともいう。「ねぷた」なのか「ねぶた」なのか。弘前市などの津軽が「ねぷた」、青森市周辺や下北が「ねぶた」という。
五節句のひとつ七夕(旧暦なので8月)に、真夏の邪気や睡魔を追い払う「ねむり流し」「ねぶり流し」という行事が起源。旧暦7月7日の七夕と旧暦7月15日のお盆という一連の行事のなかで、豊作、豊漁、商売繁盛、長寿、学問上達などを願い、地域ごとに祭りがおこなわれた。
津軽と青森のねぷたとねぶた。祭りの基本フォーマットは同じ。それにそれぞれの地域の想いなり地域の匂いなり地域の歴史が刻まれ、ちがいをうんでいく。明治まで藩(津軽藩と南部藩)がちがっていたこともあり、呼び名が変化したのだろう。まさに「同じだけど、ちがう」「ちがうけど、同じ」である。
東北三大祭りはこの「青森ねぶた祭り」に「仙台七夕まつり」と、秋田の「竿燈まつり」。
もともとのコードは「七夕」まつり。それが地域によって祭りの「モード」が変わる。秋田の竿燈もかつては「ねぶり祭り」といい七夕まつりそのものだが、秋田藩のなかで町人・職人たちによって、提灯をもつ技がうみだされ、祭りの形をつくった。戦後「秋田竿燈まつり」という名前に変わった。この竿燈は鳥取県米子市に伝わり、米子では「がいな祭り」という名前になった。日本三大提灯祭りは、二本松提灯祭りに尾張津島天皇祭に秋田竿燈まつりである。
日本がもっていた地域文化の豊かさ、広がりを感じた。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔CELフェイスブック 8月9日掲載分〕