昔と今で大きなちがいのひとつに、「ためる」という行為が減ったことがある。
かつて15日間かけて歩いた東海道53次を新幹線で2時間半で移動できる時代となった。輸送機関の進歩で、時間の概念と時間の感覚が大きく変わった。なにより江戸、東京から京都に移動する時間・プロセスの意味が変わった。
生活もそう。必要がものがスーパーに、コンビニに行ったらすぐ手に入る。情報もそう。パソコン、スマホで瞬時に手に入る。いたるところで、「ためる」というプロセスが減った。
「越瓜の雷(かみなり)干し」という調理方法があった。
手品でも芸術でもない。瓜の中味を抜いて長くらせん状にさき、塩をふって一夜おいて、翌日に天日干しをする。干しあげて、瓜ひとつ一筋ずつ結ぶと保存食となった。水分をとばすことで歯切れ良さが増し、おいしさが増し、日持ちがよくなる。雷干し方法と、もうひとつ捨小舟(すてこぶね)という調理法もある。江戸時代の本に漬物の漬け方のマニュアルがあり、この調理法が紹介されている。まさに江戸時代の「ためる」「保存する」ための智恵であった。
かつて大坂には農地が広がり、玉造には「玉造黒門越瓜(たまつくりくろもんしろうり)」が栽培され、それをつかった漬物がなにわ名物となった。お伊勢参りの道中食ともなった。しかしながら明治、大正、昭和と近代化がすすんでいくなか、大阪から玉造黒門越瓜の栽培地が減っていった。
その玉造黒門越瓜が大阪の玉造の地に戻ってきたのは2002年。今から15年前のこと。
玉造稲荷神社の鈴木伸廣禰宜がなにわ伝統野菜応援団員の森下正博さんの協力のもと、種を入手し玉造稲荷神社での栽培を始め種を増やし、周りに声をかけ種をわたし、玉造黒門越瓜の輪をすこしずつ広げていった。U-CoRoプロジェクトなどの賛同者が加わり、上町台地を中心に「玉造黒門越瓜」を栽培する人たちが増えた。今では大阪市以外に広がりつつある。
各自が育てた「玉造黒門越瓜」と、それを使い調理した料理をもちよる収穫祭がひらかれた。
大阪ガス実験住宅NEXT21で8月6日に開催された「玉造黒門越瓜 “ツルつなぎ”収穫祭」(事務局 CEL特任研究員弘本由香里)では、地元の方、レストランオーナー、農家の方々、大学の先生、まちづくり団体の方々が「玉造黒門越瓜」をもとにつながった。多くの出会いと発見があった。すごい調理法をみんなで考え、みんなで食べた。美味しく、綺麗だった。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明、特任研究員 弘本由香里)
〔CELフェイスブック 8月16日掲載分〕