蝉の声が聴こえなくなった夏の終わりのころの思い出。
ラジオ体操、プール、夏祭り、盆踊りにつづく夏休み最後のイベントだった。
お堂に座り、大人のお話のあと、自分の席の前の袋に、おさがりのお菓子をひとつひとつ入れてもらい、袋からあふれんばかりのお菓子の束になっていくのが、夏の終わりの最大の喜びだった。
「地蔵盆」と呼ばれる、京都など近畿を中心とする行事が今もつづく。
お地蔵さんをきれいにみがき、新しい赤い前掛けと頭巾につけなおし、お地蔵さんの周りに紅白の提灯をつける。お地蔵さんには、お菓子とお賽銭が供えられる。お地蔵さんは子どもが主役で、地域のおじいさん、おばあさんがお世話をしてくれている。
お地蔵さんはあっという場所におられている。お寺のなかに、商店街のなかに、住宅地のなかに、道路の交差点に並んでいる。もともと7世紀にインドでサンスクリット語「クンティ(大地)+ガルバ(胎蔵)」と呼ばれた教えがシルクロードをとおり、奈良時代の日本に入ってきて、当時の日本人はそれを「地蔵」と日本的翻訳をおこなった。
この“地蔵”がすごい。「大地が命を育む力を蔵する」地蔵菩薩はいろいろなところに輪廻し、転生し、人々の苦しみを無限の慈悲の心でつつみ、苦しんでいる人の身がわりとなって救う。
よく六地蔵(京都には六地蔵駅がある)といわれ、6体のお地蔵さんが並んでおられるが、これにも意味がある。人々の苦難である6道(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道)を地蔵が歩き、旅し、弱い立場の生き物、人々を救済する。とりわけ子どもたちを守る。そのための檀陀、宝印、宝珠、持地、除蓋障、日光が六地蔵である。
インドからシルクロードをわたり中国から日本に来た弱い者を救う地蔵菩薩に、もともと日本にあった道祖神とが組み合わされ、町や村の守り神、子どもの守り神とした地蔵信仰が室町時代に京都から畿内中心に広がった。
8月24日を中心に、地蔵盆が近畿を中心に各地域、町ごとにひらかれる。
われわれエネ・文化研究所のメンバーが仕事がおわってから自分たちが住む地元の地蔵盆を訪ね歩いた。
いろいろな形の地蔵盆がそれぞれの地域にあった。地域ごとの文化が濃厚にあった。地域の歴史、地域の特性、地域に住まう人のちがいのなか、地域独自の担い手、組合わせによって、伝統的なもの、他と連携したもの、新たなものと組合わされて、様々な地蔵盆がくりひろげられていた。
上町台地・今昔フォーラムvol.8 「“大阪のお地蔵さん”に学ぶ、まちと暮らしの今昔物語」を開催します。
(9月10日(日)14:00〜16:30(於 大阪ガス実験住宅NEXT21ホール))
http://www.og-cel.jp/information/1263674_15932.html
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明、特任研究員 弘本由香里、マネジャー 熊走珠美)
〔CELフェイスブック 8月25日掲載分〕