一軒の素敵な店が文化をつくることがある。
滋賀県・琵琶湖の西北の高島市饗庭に、黄色屋根のパン屋さんがある。
いつも行列になる店、すぐ売りきれてしまう店。車のナンバープレートは滋賀だけではない、京阪神・奈良・福井の車が並ぶ。魅力的な店は遠くから多くの人を引き寄せる。
ある住宅地にパン屋さんができた。近所のおじいさん、おばあさんが歩いてパンを買いに来られ、店の小さなカウンターで常連さんがコーヒーをのみながらパンを食べる。歩いていけるところに、ゆるやかな心よさを求めて、人が集まる。遠くから集まる店と、歩いていける店とがある。
黄色のパン屋さんはイタリアのトスカーナで修行され、奈良の吉野で地元の食材をいかしたイタリア料理店「リストランテ・ロアジ」を経営されていた伝説のシェフ永松信一さんの店。
永松さんは琵琶湖や滋賀県や福井県の山や畑を歩き、地元の農家、漁師、市場を訪ね美味しいパン・料理のことを語り、この地域ならではの食材が永松さんのお店に集まり、独創的なパン、イタリア料理がうまれる。ゆっくりと地域の経済がまわりだしている。
地域には魅力がある。日本には驚くほど感動的で魅力的な地域資源がある。地域ならではの自然、祭りや文化、歴史、食がある。しかし地域の本質が理解できず、佳さに気づかず、それを「見える化」できず、地域を発展させる戦略に結びつけられていないことが多い。
美食都市で有名なスペインの「サン・セバスチャン」はかつては普通の地方都市だった。自ら料理をして飲み楽しむという地域文化があったが、それ以上ではなかった。あるとき美食を軸としたまちへの転換を目指し、欧州はもとより世界中から集客を図るというゴールを定め、他の都市にない美食都市というカテゴリーで選択される都市を具体的に描き、その都市に向けた独創的な産業形成を図った。
日本の場合、和食とか食バルとかB級グルメという地域活性化、まちおこしに取り組む地域が多いが、どうしても部分最適となりがちである。都市・地域をまわす経済戦略・産業戦略と、食の動きとがつながっていない。
自然あふれる琵琶湖周航の唄がうまれた湖と山、川という自然のもとで、そのパンを、イタリア料理を食べるという「ライフ・スタイル」を求める人たちが京阪神・奈良・福井から集まり、琵琶湖一同を楽しむ「ビワイチ」の人たちがたち寄る。黄色のパン屋さんの隣りに地域食材を活かしたレストラン「ロアジ・高島」ができ、農家の方、漁師の方との交流がさらにすすみ、よりよいものをつくろうという集まりやワークショップが開かれる。そしてかつてにぎわっていた宿場街の旅館のリノベーションが進み、面として人を集め、すごしていただく魅力的な地域になりつつある。
「美食都市」は突然生まれるわけではない。しかし一人の魅力的なシェフ、素敵なお店がなければ始まらない。一人のシェフがトリガーとなり地域を変えることがある。その人の想いが地域の魅力と資源の魅力、強みをつなぎ、ココに住みたい、ソコを訪ねたいという人を惹きつけ吸引する地域戦略に昇化できれば、地域は必ず変えられると感じる。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔日経新聞社COMEMO 9月15日掲載分〕