自治体のトップに、「あなたの都市のライバルはどこですか?」とお訊きした。しかしながら自らの都市の海外のライバル都市をあげることができる自治体の方は少なかった。
「海外の自治体会議に行って、世界の自治体トップと話をすると、皆さんは『京都』に来られ、京都のことをよく知っておられる。一方、我々は世界の各都市のことを知らなすぎることに気がついた」と自治体幹部が語られた。
一方海外の自治体トップは、世界の人たちに来ていただくため、自らと競合するだろう都市の海外のライバル都市とその戦略のことをベンチマークし、京都や大阪、奈良を知りつくしておられることに驚かされる。
ひとことでいえば、日本において都市としてのマーケティングが弱いといわざるを得ない。自らの都市が世界の都市に対してなにを強みに勝負できるのかという戦略が不足している。インバウンドこそ、海外の都市との「都市間競争」である。
様々な政策・努力によって日本に多くの海外の人々が来ていただけるようになった。報道も「観光」「インバウンド」をとりあげられる。あきらかにインバウンドは都市と地域を変えつつある。しかしその実態は、爆買や民泊や交通という文脈でとらえられがちである。
そもそも日本に来られる人は日本をどうとらえているのか?─ ある東南アジアから奈良に来られた観光客に訊いた。彼女は奈良を歩き、何を観て、誰と語り、何を発見しているのか?
「母国との違いもあるが、似ているところが沢山あった。違いを感じて驚いたこともあり、母国の文化と似ているところを発見して嬉しくもあった」と話してくれた。同じことと違うことを見出すことが文化の本質でもある。
彼女が訪れた「奈良」という地名の由来をご存知だろうか?諸説あるが、飛鳥・平城京を訪れた中国人が「奈=どこも」「良=素晴らしい」と故郷を思ってつぶやいたという説もある。
この奈良には、鑑真和上の唐招提寺がある。日本人は1200年も中国の高僧であった鑑真和上を大切にし、日本人が手をあわせて拝んでいる姿、国宝にまでしていることに中国人は驚く。
中国にとって最良の時代のひとつ大唐時代の雰囲気を濃厚に残しつづけている奈良を畏敬の念をもって訪れ、「中国と日本のつながり」を感じておられている。残っているものだけでなく、その背景である本質を残しつづける奈良の人々の心に、感動されている。
また奈良で正倉院以外にもシルクロードの終着点だと感じる瞬間に出くわすことがある。興福寺の阿修羅像を見ていると、中国の若いカップルが突然ひざまずいて祈る姿に出くわした。シルクロードをわたってきた祈りに「国境」はないと感じた。その阿修羅像はインド・中国から伝来されたもの(コード)をそのままとり入れたのではなく、写実的な物質的デザインをベースに「日本的なるもの」を精神的デザインとして込めた「美」(モード)へと昇化されている。そのことに、海外の人は「似ている」ことと「違うこと」を発見し、日本的なる文化と、それをつくりあげた日本人の方法論を学びたいと考えている。
表面的に見える「コンテンツ」だけでなく、コンテンツがつくられた「コンテクスト」をどれだけつたえられるかである。それがインバウンドの本質ではないか。それがグローバル時代の産業にどうつなげられるかが問われているのではないか。1200年前の歴史を今も残しつづける古都「奈良」のなかで、「なにが同じで、なにが違うのか、いかにそれを今につなげていくのか」を見出し、学ばれようとされている。最後に、在住外国人に「日本で体験したい文化プログラム」をお訊きした。驚くような結果だった。
〔日本でどのような文化プログラムを体験したいのか?〕
1位 日本建築、和風住宅
2位 華道、茶道などの生活文化
3位 本格的な日本料理
4位 本格的な着物の着付け
5位 文楽・能などの伝統芸能
(「大阪くらしの今昔館」調査)
奈良や京都は寺社などの古い日本の建物があるから外国人が訪れるのではない。今もそこで息づく生活文化がその都市・地域に内蔵されているから訪ねにこられる。それぞれのコンテンツを部分部分におわらせるのではなく、時代の流れを踏まえてそれぞれのコンテンツを編集してつなぎ、ストーリー化できるのかがこれから求められる。過去を美化して、懐古主義的にノスタルジーに見せるのではなく、いかに古いものと現在をつなぎ、今を生きる人々の生活・産業、これからの都市・地域戦略につなげられるかではないか。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔日経新聞社COMEMO 9月20日掲載分〕