“摂河泉”というくくりがある。現在の大阪府は、旧令制国区分の「摂津国、河内国、泉州国」に該当する。近畿における人々の消費行動の今とこれからを考えるため、マーケット情報を様々な角度から分析した。しかしながら現在の行政区分でセグメントしてみたが、どうもすっきりしない。そこで、かつての旧令制国区分でセグメントしてみた。
大阪の北と南は大和川で異なるとか、神戸の西と大阪は同じような空気感だとか、大阪の北東と京都の西は似ているといった肌感覚を地元の人間として漠然ながらもっていた。
マーケットの実態をどのような区分でみるといいのか?野村総合研究所の日戸氏、林氏と、地域別の消費行動のちがいについての議論をした。近畿と関東、中部圏などの都道府県ごと、政令指定都市ごとなどいろいろ切ってみた。そこで「旧令制国」というくくりが浮上した。そもそも海や川や山や池といった地形、道や湊・港、橋というインフラ、地域ごとの気象によって、地域の違いが生まれる。なによりも地域ごとにそれぞれの産業がうまれ、そこで働く人が集まり、職住近接として住まいが建てられ、そしてまちが形成され、地域ごとに文化が育まれていった。旧令制国区分でみた方がよりリアルにつかめた。
CEL116号「都道府県と旧令制国では、地域の特性が際立つのはどちらか」
http://www.og-cel.jp/search/__icsFiles/afieldfile/2017/06/27/44-47.pdf
たとえば川。かつて川の水量は多かった。古代より「治山治水」として安全安心な国土づくりにとりくんできた。天龍川、長良川、大井川、利根川、吉野川、筑後川、信濃川、淀川も、かつてはヨーロッパのライン川や中国の長江のように怒涛のような大河だった。橋もそうそう架けられなかったし、台風で流されることも多かった。物理的に人々やモノの交流が制限されていた。川をさかいに、それぞれに商業、産業がうまれ、人が集まり、地域文化が耕された。
淀川は、琵琶湖を水源に大阪港まで170km。965本の支流が滋賀県、岐阜県、京都府、奈良県、三重県、大阪府に広がる。関西空港や伊丹空港を離陸してすぐ眼下を見おろすと、琵琶湖と淀川、大阪港、瀬戸内海のラインが鮮やかに見える。この水路ネットワークをもとに川筋文化がうまれた。
江戸時代、国内各地域から北前船や菱垣廻船、樽廻船が安治川口、木津川口に入船し、モノが積み替え、ヒトが乗り換えられ、淀川や堀を三十石船などの過書船、淀上荷船、伏見船が上り下り往来し、情報や文化が交流した。
大坂の八軒家から京の伏見まで50kmの淀川筋は貨客輸送の最重要幹線だった。今なら電車で30分、あっという間に着くが、江戸時代は京から大坂への下りは半日、大坂から京への上りは川の流れに逆らうので1日かかった。淀川筋の地域ごとに産業がうまれ、人々が交流し、市がたち、寺社ができた。枚方の「くらわんか船」や毛馬の「煮売船」などの小船が三十石船に近づき、酒食を提供していた。
桜の宮や木村堤の桜、柴島の晒、佐太の天神、淀の水車、石清水八幡宮など、両岸に豊かなコンテンツにあふれた。川筋それぞれに産業と人々の暮らしと、独自の文化があった。その多様性を船の上から見るプロセスが楽しみだったのだろう。今、利便性とひきかえに、そのプロセスを失った。
かつて「似ているけど違う、違うけど似ている」という地域ごとの多様性と受容性を育んだ。どこも同じに見える今の地域の風景、地域文化の“ちがう”を感じる。これから私たちは多様性と受容性をもつ地域文化を、どうつくることができるのだろうか。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔日経新聞社COMEMO 9月27日掲載分〕