1月10日の早朝に全国のえびす神社の本社である西宮神社の境内を疾駆して福男を選ぶ光景や、今宮えびす神社の「商売繁盛で、笹もってこい」のお囃子がテレビで流れるが、そもそも商売繁盛の神といわれるえべっさんとはなんだろうか?東京では、商売繁盛は熊手の「酉の市」、近畿を中心に 1月10日の「十日戎=えべっさん=商売繁盛」と、現代生活で捉えられている。近畿だけのものなのか?
えべっさんとはなにか?
室町時代に、農民・漁師・商人の間で「五穀豊穣・大漁・商売繁盛」を祈願する信仰として、えびす神やかまど神が祀られ、地域の農家や漁師や商人の間で「えびす講」というつながりがうまれる。その祭礼として旧暦の10月20日に「百姓えびす」、1月10日に「商人えびす」がおこなわれた。だから酉の市は「百姓えびす」、十日戎は「商人えびす」の系譜を継ぐ。
実は10月20日の「えびす講」の日、江戸時代、京都・大坂で「誓文払い」がおこなわれていた。えびす講の日、商店では年に1回の安売り、現代でいう「バーゲンセール」がおこなわれた。商売上の駆け引きでお客さまを欺いた罪を払い、神罰を免れることを祈るための商いであって、決して熊手や笹で、商売繁盛を祈るだけではなかった。商人はこのようにお客さまにお返しをしていた。
えべっさんは商売繁盛の神といわれるが、もうひとつ深い物語がある。
えびすのまたの名は蛭子(ひるこ)。両足がなく生まれ、親に捨てられ海に流され西宮の浜にたどりついた。
神に流された不具のえびすは、瀬戸内を東に流れ、西宮に辿り着く。摂津の国の人たちはその子を「神」として温かく受け入れた。新たなもの、異なるものは海から来るという神話や祭りが日本各地に残っているが、古代の人たちがえびす、蛭子を受容し抱擁する姿は、異なる姿、言葉をもつ海から来た人々を受け入れた姿とオーバーラップする。優れた知識や技術や情報を日本人は積極的に受け入れ、融合して、新たなものを生みだす文化をつなげつづけてきた。
新たなもの、異なるものに真の力を見出して受け入れ、その力を自らの力に換える。商いや海運など「天運」にかかる事柄に、不具ながらも流れ着き、神として祀られるえびす、蛭子の強運の導きを仰ぎ、さらに西宮から「えびすかき」という人形芝居(人形浄瑠璃・文楽のルーツ)をしながら、全国行脚して「えびす信仰」を広げた。えびす信仰を人形芝居という方法論を用いて全国に普及させた。すごいプロモーション力で広げた。
子どもを捨てる神話は世界に多くあるが、障害があって捨てられ、その人を神とする神話があるのは日本だけ。古代から敗者への温かい目線をえべっさんに感じる。バリアフリー・ユニバーサルデザイン、ユニバーサルマナーは昔からあった。
「商売繁盛で、笹もってこい」のあとは、こう続く。「吉兆買う人得な人、来年も吉兆はここだっせ」と。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔日経新聞社COMEMO 1月11日掲載分〕