お客さまのところへ行くとき、手ぶらで行くのは「不祝儀」だと感じるのが大阪。商談にお伺いして、お茶に加えてお菓子が出ることがあるのは大阪。何度も訪問していて、突然会ったこともない「先代の奥さまからです」といわれてお茶菓子が出てくると、東京から来た人は、この菓子の意味はなんだろうと考えてしまう。
あるテレビで同じホテルの「デザート・ビュッフェ」の東西のちがいが報道されていた。滞在時間3時間の東京と、2時間の大阪。ちがいはスマホ撮影が長い東京と撮影時間が短い大阪で、1時間の差がでていた。東京はいっぱい写真を撮って、SNSにあげて「いいね!」をいっぱい目指す。一方大阪は撮影枚数は少なく、美味しいものをいっぱい食べる。美味しさは写真にたよらなくとも自分の言葉で説明できるという自信がある、「合理的」というのだろうか?
大阪に加え東京でも仕事をしていたので、人と人とのコミュニケーションで「微妙なちがい」を感じる。東京で人と話をしていると、「〜だよね」といわれることが多い。「私も良いと思っていた」という意味での「〜だよね」。そこには「共感の安心」が込められている。
一方大阪では「〜とちゃうの?」という問いかけがある。自分が考えていることを人にぶつけて、「確認」をして自分の考えをまとめあげて「信念」にする。自分の考え方がまちがっていたら、「なるほどなぁ」といとも簡単に修正する。それまで頑固に自論を主張していた考え方を180度変える大阪の人に驚く東京の人が多い。柔軟性という特性がある。このように東西の「商い文化」のちがいがある。
人との接し方、目線、聴き方、話し方、会話の呼吸、心の読み方、会話のやりとりという大阪の商い文化は、東京とは微妙だが決定的にちがっているところがある。では、この大阪文化とはどこから来ているのだろう。
大阪は飛鳥・平城京、難波京がシルクロードの終着点の入り口になって以来、古代・中世・近代と物流・交通ネットワークの要衝であった。国内外から物資を集配送し、人々と交流し、様々な情報を集め、それを加工・編集して、「お客さま」のことをイメージして、お客さまにとっての価値を考えて、お客さまにその商品なりサービスを提供しつづけてきた。
その際に駆使されたのは「と、ちゃうの」に象徴されるコミュニケーション力だったのではないか。
そのコミュニケーション力をベースに、①情報収集、受信 ②編集、変換 ③価値創造 ④マーケティングが統合された「トランスファー」文化を進化させ、レベルアップさせて、代々とつないできた。「と、ちゃうの」はまさに、この「トランスファー文化」を形づくった最大の機能のひとつ。
大阪で商売を学ぶとは、この「トランスファー文化」を感じ、体得することでもあった。しかし、その文化が忘れられようとしている。「と、ちゃうの」の意味が変わりつつあることが気になる。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔日経新聞社COMEMO 1月18日掲載分〕