ある大学で「家に百科事典がある人?」を訊ねると、180名中3名しか手をあげなかった。百科事典ってなんですかという質問もあった。たしかに40年前の学生時代の私の家での百科事典は家のインテリア的扱いだった。百科事典だけではなく、国語辞書、英和辞典も同様。少なくとも20年前、30年前までは国語辞書や英和辞典はボロボロになるまで使っていた記憶がある。
電子辞書やパソコンやスマホが登場し使われるようになると、わからないことがあったら、本をめくってわからないことを調べるという様式、方法がなくなった。
今は便利だ。調べたいキーワードに「ストレート」にたどりつく。調べる時間は短くすむので、ストレスもない。スマホでキーワード検索する。Siriで検索する。ダイレクトに、「答え」が出てくる。かつては調べたいことを分厚い百科事典や辞書のページをめくり、探した。調べているうちに、もともと調べたいことではなかったが気になることや関心のあることに出会ったり寄り道をしたりして、別のことを読んで知識を深めていった。
ひとつのキーワードを調べるのに時間がかかった。調べている途中に、いろいろなことを考えた。別の情報もいっぱい入ってきて、それらも読むので時間がかかったが、目的のもの以外のものがいっぱい情報として入ってきた。もともと調べようとしていたキーワードの前と後ろが目に入ったりした。このような「寄り道」と「前後」で、知識が広がった。深みがでた。
スマホの検索について編集工学研究所の松岡正剛所長と話をしていたとき、「スマホを使いこなすためには、『時間軸』と『地理軸』を頭のなかに入れておかないといけない」とおっしゃった。三次元で物をとらえることが必要だということ、と受けとめた。
キーワード検索以外にも話が展開する。たとえば新幹線。江戸時代に東海道53次(492km)を15日間かけて歩いた。「早く、遠くに行きたい」という人々のニーズは、輸送技術を進歩させ、到達時間を格段に早めていった。今では東京から2時間半で京都につく、あっという間だ。
技術の進歩は「時間の概念と時間の感覚」を変えたが、人々の「思考時間」を減らした。車窓からの風景をのんびりと眺めたり、駅弁を食べたり、切符の改札、ホームで立ち食い蕎麦を食べたりといった「プロセス」がなくなった。
技術で得られることと、技術を使うことで失われることがある。なにが得られて、なにがなくなるのかという両面を踏まえ、住まう、学び、仕事をしていかなければ、「技術」に使われるだけになる。あえて寄り道をして、いろいろなものを見たり、考えたり、あえて前と後を見る必要があるのではないだろうか。それが「地理軸」「時間軸」を学ぶことにもなるのではないだろうか。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔日経新聞社COMEMO 1月31日掲載分〕