「シエナからフィレンツェへ」
山に城がある。山に町がある。一本の道を通らないと、町に入れない。かつてあった城塞都市が今も生きる。
大理石の町には侵略との戦いのの歴史があった。敵から町を守るため、マラリアなどの疫病から守るため、時間をかけて高地に放射線上の町を作った。白と黒の大理石のシエナ大聖堂は200年以上の月日をかけてつくりつづけた。町を作る時間軸が驚くほど長い。
シエナには、現存する世界最古の銀行があり、現代に続く金融システムがつくられた金融・城塞都市である。シエナは大きな都市ではないが、世界最古に近い時期に大学をつくり、今も大学生が通い人材を輩出している。商業都市にとって、人材は何よりも大切な都市戦略といえる。
安土城や飯盛山などの日本の戦国時代の山城を思い出した。室町時代の日本は南蛮貿易などで、これら西洋の城を学んだのではないかと感じるほど、城の立地は酷似する。しかし石の文化と木の文化では、時間軸の概念が根本的に違う。
シエナと何度も戦ったライバル都市のフィレンツェに向かう。
フィレンツェは最古の薬局がある。1200年代に修道院の庭で育てられた薬種を調合したことを起源としたサンタ マリアノヴェッラ薬局の調合室の棚を見たとき、大阪道修町の薬種問屋店頭の壁一面の「薬箪笥」を思い出した。薬を調合する道具で時間を超えた東と西の技術交流の跡を感じる。
フレンツェを美しいまちに再構築したメディチ家は、薬種業から金融業に事業拡大して巨万の富を築き、ルネサンス文化を今に残す。
豪華絢爛なルネサンス建築は才能ある建築家と芸術家がデザインした。しかし彼らだけでは建造物群が作れない。サンタ・マリア・デル・フィオーレをはじめとしたフィレンツェの優雅な建造物群をつくるためには、大量の大理石がいる。メディチ家は、大理石を山からきり、運河ではこび、建物を長い時間をかけてつくりあげていくために、頑健な労働力を大量にあつめた。
「トリッパ」という内臓料理などフィレンツェのトスカーナ料理は男性的でやや塩がきつく、力強い。美しいまちフィレンツェをつくりあげた労働者が、この力強い料理を愛し育てた。優しい料理であるパルマの料理とは対照的である。地域の料理には歴史があり、物語がある。それを生み出した背景がある。
最後に「リ・ボリータ」という伝統料理を紹介したい。リとは再び、ボリータとは煮込むこと。硬くなったパンを野菜や豆のスープに入れて煮込むイタリアのマンマの家庭料理。今でいえば、エコ料理といえようが、身体が温まる、美しいまちを支える料理だ。
フィレンツェをあとに、パルマに向かう。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔CELフェイスブック 1月28・29日掲載分〕