「ヴェネツィア篇」
ローマからミラノに車で向かう。イタリアは原色の国、太陽の国と呼ばれるが、イタリアの高速道路(アウトストラーダ・デル・ソーレ)は、太陽道路と呼ばれる。第2次世界大戦後に、イタリア南部の生鮮農産物のEU各国への輸送とEU観光客の移動のために建設されたが、EU統合後の物流統合によってドイツやフランス、オーストリアなど欧州全域からの物資がイタリアに流入することとなっていた。
太陽道路は上下3車線、計6車線で広く、ひたすらまっすぐのびる。日本の高速道路のように、高低差やトンネルはあまりない。とにかく一直線である。そのイタリアの高速道路の中央分離帯に特徴がある。取り外しが容易な可動式ブロックである。有事に滑走路とするためだという。さらにブロックを動かすことで、交通事故のときに事故処理がしやすい。また上下線をまたぐ橋が架けられ、ドライブインは上下のどちらか1ヶ所ですむ。とても経済的で効率的にできている。
ヴェネツィアに着いた。ジェノバと並ぶイタリア二大貿易港であり、水上都市として世界で有名。ヴェネツィアも、パルマやフィレンツェ、ミラノと同じく「ゾーン・トラフィック・リミテッド」によって、ヴェネツィア中心部には車輌の入場制限がおこなわれている。鉄道、バス、トラム、タクシーしか入れない。自動車は入れない。それだけではない。ヴェネツィアは湾を埋めたて人工的につくられた都市で、ヴェネツィアの建物と建物の間の運河を小舟が縦横無尽に縫うように往来する。
ヴェネツィア中心部の住民6万人に対して、1日あたりの観光客が5万人という世界有数の観光地。定期的な水害と観光客による混雑・混乱を避けて郊外部への人口流出が進んでいる。世界的観光都市において来訪者と住民とのバランスをどう考えていくかが問われる。インバウンドが拡大する京都、大阪、奈良などの日本観光地において、これから起こりうる重要な課題である。
ヴェネツィアは東方貿易で財をなし東方文化と融合させたあと、16世紀に独特な文化芸術・ファッション・文化が生まれ現代に、その形と空気を残している。個性的な都市の多いイタリアのなかでもとりわけ独創的でユニークな都市は世界からの観光客を魅了する。
張りめぐらされた運河を見て、江戸時代の水都大坂といわれた町の地図が目に浮かんだ。堀と舟を行き来する大坂の風景が目に浮かんだ。
ヴェネツィアを出て、最後のミラノに向かう。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔CELフェイスブック 1月30日掲載分〕