一点の絵画が目に飛びこんでくる。レンブラントが 1633年に描いた「テュルプ博士の解剖学講義」の舞台である。1488年に建てられた建物の最上階を外科医のギルドが使い、冬季に死体解剖実験がおこなわれ、報告書がイタリアやドイツをはじめ各地に発信されて、世界の医療を向上させた。ドイツ人医師の書いた医学書を前野良沢と杉田玄白たちがオランダ語から翻訳した「解体新書」(1774年)をさかのぼる物語である。
数百年前の大航海時代、オランダは世界と交易した。アムステルダム港に荷揚げされ運河にて町の中心部にはこばれ、商取引のための計量(オランダ語:Waag)をしていた建物に、商人や職人たちのギルドが入居していた。世界中から物やコトが港に集まり、世界各国の人と人が集まり、世界の様々な情報がまじりあい、知と知とを交換しあい、知恵・アイデアをだしあい、新たなものをつくりつづけた場所であった。江戸時代の日本、江戸と大坂の町・堀でくりひろげられただろう風景を彷彿とさせる。
「取りくむべき社会課題をどう考えているか?」と訊ねると、「なによりも教育だ」とBart氏は即座に答えた。先端テクノロジーを住民に広めるため、技術と社会をつなぎ、社会問題の解決を実践する公益団体「ワーグ・ソサエティ(Waag Society)」の代表のひとり。ともすれば、日本では社会課題として「高齢者問題」が第一にあげられがちだが、Bart氏は「未来の主人公である子どもへの教育がいちばん大切。400年前に解剖実験をおこない世界の医療の向上に貢献したこの場所で、子どもたちが未来を生きることがなにかを学ぶことを第一に考えて、取り組んでいる」
「たとえば橋の建設のことを議論する。どのような橋を、どのようにつくるのかという議論も大切だが、その町に住む人々が生活し働くうえで、橋が町のなかにどうあったらいいのかという議論から始め、よりよいライフスタイルをみんなで考えるというアプローチをしている。建設会社や学者だけの議論にしてはいけない。医療データも、そう。ひとつの機関にデータをとじこめるのではなく、市民・社会に情報をオープンにすることで、いろいろな意見を集めることで、よりよい知恵がうまれる」。徹底的に「人>技術」である。「技術>人」の日本と180度ちがう。
ワーグ・ソサエティは、レンブラントの解剖絵の時代の400年後の現代において、市民・社会と技術を文化でつなぐという考え方は変わらない。日本の場合は行政、ビジネス、大学の専門家で議論しがちだが、「市民の参加」を中心に据えている。日本は技術のテーマは技術の人だけで、技術から始めて技術を考える。しかしここでは様々なバックボーンの人が集まり、様々なプロジェクトにかかわる。文化人類学者、歴史家、文学者、医者、デザイナー、アーティスト、エンジニア、マーケター、法律家に、子ども、学生、主婦、シニア、世界各国から、多様性あふれる人たちが集まり、ひとつのグループ・プロジェクトに固定されることなく、臨機応変、縦横無尽にグループ・プロジェクトに「越境」して参加して、まじりあい、議論のための議論ではなく、未来の人の生活、社会に向けたリアルなアイデアを出しあい、学びあい、具体化に向けた実験、試作がおこなわれている。わいわいがやがやの活動をレンブラントの解剖の絵が見つめている。
かつて、この風景は日本に確実にあった。内向き化しつつある日本が失ったのが“学び”。一見インターネットやスマホやマスコミから情報を簡単に手に入れることができるようになっているが、自らそこに足をはこび、リアルに外に、多様性を学ばなくなったのではないだろうか。出口治明立命館アジア太平洋大学学長の“「精神的鎖国」打ち破り、自ら行動を”は、そのとおりだと思う。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔日経新聞社COMEMO 3月14日掲載分〕