春はあけぼの、や うやう白くなりゆく山際…。「1000年前に、こんな女性が日本にいたのか?」と、四季ごとに変化する日常を豊かな感性で観察し、鮮やかに躍動的に描写した清少納言の「枕草子」が、紫式部の「源氏物語」とともに、中国の知識層、若年層で読まれている。“もののあはれ”の紫式部に、“をかし”の清少納言。彼女は中宮定子との唐の詩人“白居易”を踏まえたやりとりなど、当時世界最先端の唐文化を完璧に知悉していた教養人だった。聡明・利発・才気煥発で、シャープでありつつ、「をかし(情趣ある)」を連発するユーモアあふれる、1000年前の日本女性の感性が、現代中国人の若者たちの心を捉える。ちなみに清少納言は「清少/納言」と切って読むのではなく、「清/少納言」と切って読む。唐風文化の影響を受け、一文字姓(清)の名前が流行した。それぐらい平安時代の日本は、唐に学びつづけていた。
「漢字」も、すごい。日本は漢字文化圏だからと頭に判っていても、中国でも使わなくなった漢字を1400年以上も使いつづけている日本人に、中国人は驚く。まして中学校、高校の授業に「漢文」があり、論語や老子・荘子を日本人が学んでいることに驚く。さらに明治以降に、西洋の書物から漢籍に照らしあわせて日本人が漢字に翻訳した「漢語」を、中国が組織的かつ大量に取り入れた。今中国で使われている西洋語の翻訳漢語の6〜7割が日本由来である。それほど、日本と中国の関係は密接であった。
日本の「茶道や華道や書道」も、中国でブームになっている。日本で茶道・華道・書道を習い、免状をとり、中国で教室をひらく人が増えている。漢・唐の時代に中国でうみだされたものが日本につたわり、日本で時間をかけて翻訳され、徐々に日本独自のものとして発展した。このようにして創造された「似ているけれど、ちがうもの」を現代中国人が学んでおられる。中国から来たコード(暗号、記号)を日本的に翻訳してモード(様式・方法論)に変換した。とりわけ稀代のイノベーターである室町時代の堺の茶人、千利休が構築した「見立て」は現代につづく“日本的なる様式”をつくりあげた。あるものの置き換えでも代替でも喩えでもなく、物事の本質を見抜いて、それにフォーカスする方法論であり、もともと中国起源のものから引き算の日本の美学で再構築されたものであり、現代中国人はそれに惹きつけられている。
中国人観光客の爆買い対応から「コト消費」へのシフトが必要だと観光ビジネスでいわれている。たしかにそうだが、実は基底をなす価値観の潮流が大きく変化しており、中国人の心を捉えているものがある。「漢と唐は、日本にある」といわれていたが、唐の長安を模した奈良や京都を歩き、「こんな美しいまちが隣りの国にあったのか?」と感動する中国人観光客。品格がありセンスがよい、たたずまいの町並みに、中国人は奈良・京都に1000年以上前の中国の大唐時代の “面影”を感じる。“聖地巡礼”ともいえる。しかし1000年以上の歳月を経て現代に継承しつづける日本の“古都”に長安への郷愁にかられるだけではなく、日本が中国から来たコード(暗号、記号)を読み解き、翻訳して、モード(様式、方法論)化し、さらに高度な都市文化・住文化をつくりあげたことに驚きつつ、感動している。それがインバウンドの本質である。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔日経新聞社COMEMO 3月26日掲載分〕