耳を疑った。「近所づきあいをしないようにしよう」と、呼びかけるまちがある。近所づきあいをしようとするから、隣人とトラブルになる、トラブル対応にまきこまれるのが面倒なので、そのまちはキャンペーンをうった。大変なことになった。 1年半前、神戸のマンションの住民総会で、「子どもが心配なので、知らない人に挨拶されたら逃げるようにと家庭内で教えているので挨拶させたくないとの声にもとづく議論で、“マンション内で挨拶をするのをやめよう”と決まった」との読者投稿を契機に、「近所どうしで挨拶する?しない?」が日本中で話題になったことがあるが、もっとすごいことになっている。さらに、そのまちは住宅街でのゴミ置き場を廃止し、各住戸ごとにゴミ収集車が来ることにした。収集費用はかかるが、ゴミ置き場でトラブルがおこるよりもいいとの考えのようだが、お金で解決しようとしている。行き着くところまで行っている。
会社生活で大事なことがある。「問題(トラブル)と課題(プロブレム)」のちがいである。会社では、多くの「トラブル」に出くわす。仕事は、トラブルだらけといってもいい。トラブルがおこると、つい見えている現象に目が向く。表面的なトラブル対応では、再びトラブルがおこる。トラブルをひきおこす原因、理由を特定して、それを解決しなければ真の解決にはならない。これが課題(プロブレム)である。今発生していることが問題(トラブル)なのか課題(プロブレム)なのかを見極め、真の課題を解決しないといけない。
「挨拶をしないマンション、近所づきあいをしないまち」は、まさにトラブル対応そのもの。表にでてくる現象面のトラブルへの対処療法である。頭が痛いからといって頭痛薬を飲むようなもの。頭痛をおこす原因をつきつめ、それを取りのぞかなければならない。そもそもの「“挨拶しないようにしよう”とか“近所づきあいをしないようにしよう”」とする背景・原因という課題(プロブレム)をつきつめ、その課題を解決しないと、根治療法とならない。
人間関係の希薄化が原因だという人がいるが、この表現ではわかりにくい。核家族、各層の単身者の増加、IT・スマホの進展によるネットワーク構造の変化、私(プライベート)と公(パブリック)の中間領域的な交わり場の減少など、いろいろな要因が複合して、家族のなかでの関係、人と人との関係、人々と社会との関係性を変え、「集団・地域<個」となる。こうして個人主義が加速し、人と人との対話量が減少する。その背景として、集団・地域のなかでの個人の役割分担が曖昧になっていることがあげられる。個人が、集団のなかで、地域のなかで、果たすべき役割がなくなったことが課題のひとつである。たとえば三世代家族が普通であった時代は、同居する祖父母には明確な役割があった。地域のなかでは、「長老」としての役割が確実にあった。それぞれ役割分担を再構築しないといけない。それぞれがなにをなすべきかを明確にし、その役割を果たさなければならない。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔日経新聞社COMEMO 4月5日掲載分〕