営業で来られる場合、アポは15分か30分。たいてい話が面白くない。さすがに“儲かりまっか、ぼちぼちでんな”のような天候談義のような景気話やゴルフ談義で終始する営業は少なくなったが、逆に横文字ばかりの専門技術やビジネススキームを背景もなく、売りたい人の論理で綺麗だけどスカスカのパワーポイントを用いた話をする営業が多い。ずばり話が面白くない、5分で退屈してしまう。
営業マンだけではない。書店に並ぶ本も“軽い”。頁数も200頁前後、実質“ハウトゥー”物が多く、漢字が少なく横文字が多く改行が多く白っぽく表面的。目次を見たら、大体わかる。自分にそれが使えるかを判断できるのに5分もかからない。迫力がないし、リアリティがない。“頭”で書いた本。現場での実践、キリキリ胃が痛くなるような経験のなか、失敗に悩み、再びチャレンジするといった現場のにおいがしない本が多すぎる。専門分化、部分最適になっているだけではない、こじゃれたカフェかどこかで、パソコン画面という世界に向かって書いているフワフワとした絵空事が多い。目の前が明るくなるという意味の「面白い」本が少ない。
企業・自治体のみならず、たとえば大学教育にとって「10年先はどんな世の中になるのか?」は重要な課題である。10年先の社会を読み、10年後の社会に通用する人材を育てることが大学教育に求められる。10年後の人材づくりのために、教育プログラム、教育のありかたをさまざまな角度から日々考えている。にもかかわらず、自社の商品を売りつけるため、滔々と自社の製品の機能とか性能を提案しつづける営業が多い。その提案が大学経営にとってどう貢献するのか、大学の問題をどう解決するのかという視点がない。だから“対話”が成立しない。提案に来られる企業の「人」から学べることはほとんどない。しかし「今どんな世の中なのか?どういう基本潮流で動いているのか?これからどうなるのか?」などの話ならば、アポが15分〜30分でも、1時間でも2時間でも話がつづくことがある。
10年先、20年先のことを語らないといけないからといって、だれかの「未来予想図」の本を読んだり、ネットで調べて、お客さま訪問しなければならないといっているのではない。その企業なり、その人なりが市場、現場からつかんだ「事実」に裏打ちされた「市場観」「未来像」でなければ、お客さまにすぐに底が見抜かれてしまう。
深い対話、ダイアログをするためには、「教養」がいる。専門分野、専門技術の知識、部分最適の情報ばかりだと、お互いが学びあい、創発するという「対話」にならない。今の日本には圧倒的に「教養」が欠如し、「知の基盤」が弱くなっている。ここ数十年、「教養」を軽視してきたツケが回ってきたのではないか。だから対話して面白くない。
ずばり「統合」する力が弱くなっている。たしかに技術の進展、情報量の氾濫で、ひとつの分野を学び、追いかけていくだけでも大変である。部分最適的に専門性を追求しなければならないこともある。だから専門分野、同じ分野の人ばかりが集まって物事を考えようとする。その方が楽だからではあるが、議論は同じ世界をぐるぐるまわってしまう。それで通用する時代ではなくなった。だからこそ部分と部分をつなぎ、全体を俯瞰して組み立て直すことが求められる。そのためには、専門テーマ、分野のテーマ以外のメンバーを集め、新たなもの、異なるものを受け入れ、侃々諤々と本音で議論しあって、いろいろなコンフリクトと向き合って、みんなの知見を結合して価値あるものを“形”にして、マーケットで実験的に実行する。そのなかから、うまくいったり、うまくいかなかったりという沢山の経験から学び、考え、悩んで、力をつけていく、そんな学ぶ風土をつくりださないといけない。そんな場と人づくりをいそがなければならない。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔日経新聞社COMEMO 4月20日掲載分〕