「信号を渡っていたら怪我をした。信号が変わるのが早いんだよ、なんだよ」と、文句をいう。実はこの人は赤信号なのに渡って、怪我をしたのだ。プロトコルやルールを守らず、「なんとかしろ」という。真逆の話になっている。このように「前提条件」を外す人がいる。どうしてこんないい方をするのだろうか。
先日、高校生たちが過呼吸でバタバタと倒れた。「子どもが倒れるまで、叱るなよ」と、高校生たちを注意した先生の方がいけないという論調がでてくる。倒れた高校生たちがバス出発の集合時間に大幅に遅れたという「前提条件」が外れ、バタバタと倒れたという「現象面」だけをとらえ、真逆の話になる。どうしてこんなことになるのだろうか。
「過ぎたことを振り返るとき、人は神になりうる」と、司馬遼太郎氏が「坂の上の雲」で書いた。大地震などの災害がおこったときに、「私は前から予想していた」という専門家があらわれる。今回の大阪北部大地震でも、あらわれた。大阪府高槻市立寿栄小学校の4年女児がブロック塀の下敷きになって亡くなられた事故以来、ブロック塀問題がヒートアップする。地震問題よりも、むしろブロック塀問題に論点が移る。そして「ブロック塀がずっと気になっていた」「問題だと思っていた」という人が続々とあらわれる。まさに人は、「過去を振り返ると、神になる」のだ。なぜこんなふうになるのだろうか。
3月に「世界一住みやすい」といわれるデンマーク・コペンハーゲンの世界的都市デザイナー・ヤンゲール氏の設立した「ゲール」を訪れた。1960年代のコペンハーゲンは、人口過密し、まちは工場の煙で汚れ、人々は都心部から綺麗な空気を求めて郊外に出ていった。その頃よりゲール氏は、コペンハーゲン市とともに、人間中心のまちづくりをすすめる。
「“まちは誰のためであるのか”からスタートする。たとえば人々はその場所でどんな夜をすごしたいと望むのか、と“人々の生活”を第一に、まちの現場に立ち人々の行動を観察し、過去から現在の時の流れを見つめ、まちのあるべき姿を考える。そしてそのあとにスペース・空間を考え、最後に建物を考える。決して建物を考えることから始めない。どんな建築にするのか、どんな機能にするのか、どんな材料にするのかは、それはそれで大切だが、人から始める順番を間違ってはいけない」
「人間中心のまちづくりをすすめ、コペンハーゲンの中心部に人々が徐々に戻ってきた。ただかつてよかったころのまちに再興すればいいのではなく、“新しいやり方”でつくりなおす。人々がまちのなかですごすこと、建物との間でおこること全ての体験・プロセスを観察し、建物と建物の間でおこること、プライベートとパブリックの相互作用、インドアとアウトドアの相互作用、住空間と職場の相互作用を考え、人々にとってよりよいものをうみ出していくことが、住みよい、働きよい、訪ねたいまちとなる道である」
日本は、商品もまちも、なにごとも「モノ」から出発しているのではないだろうか、とコペンハーゲンを歩きながら感じた。デンマークも、1960年代まではそうだった。コペンハーゲンの人々は。60年代にそのことに疑念を抱き、時間をかけ、人間中心のまちへと変えていった。その変化は決して大きな動きではなく、ゆっくりゆっくりと変えていった。
1960年〜70年、日本は高度経済成長に突っ走っていた。モノづくり日本でつくられた製品は世界を席巻した。そのころデンマークでは、モノづくりから人間中心に転換していた。まちづくりだけではない、「デンマークデザイン」が独創的な商品を次々とうんでいった。
そのデンマークで開催されている2015年からつづく「Learning from Japan」展を観て,圧倒された。デンマークは1870年から現代にかけて150年以上も、日本に学びつづけているという展示会だった。デンマークは日本から表面的な意匠のみを学んだわけではなく、日本のデザインのもつ本質を掘りおこし網羅的に学び、自国の戦略として昇華していたのだ。今こそ日本はデンマークに学ぶべきことが多い。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔日経新聞社COMEMO 6月27日掲載分〕