「これほど魚が来ないことは経験したことがない。いつもはこの水槽に、水族館のように魚が泳いでいるのに。今回の豪雨影響はすごい」と、かつて江戸時代、天下の台所といわれた大坂の魚市場「雑魚場(ざこば)」の系譜を受け継ぐ、大阪市中央卸売市場本場の鮮魚卸売店主。
「阪神淡路大震災から23年で、卸市場が大きく変わった。スーパーが増え、市場も鮮魚店もまちから半分減ったし、卸売市場に仕入れに来られる人はめっきり減った。増えたスーパーのバイヤーはFAXやメールで注文の連絡があるだけで、卸売市場に来られない。魚屋さんも料理屋さんも昔は卸売市場によく来ていたけれど、彼らも来なくなった。料理人さんたちは旬の魚、日々の魚が感じられなくなっているんじゃないだろうか。この前来た日本料理の大将から、『この魚を、どう料理したらいいの?』と訊かれたとき、愕然とした」と卸売から見た社会の風景をお聴きした。
海に近い卸売市場を歩きながら、西日本で広範囲に発生した豪雨災害のその後のことを考えた。日本社会の経済産業で、気になることが3つある。
(1)効率性一本・物流システムに依存しすぎた日本
スーパーの棚に食材や食品がなくなるということは、私たちは阪神大震災でも東日本大震災でも熊本地震でも何度も経験している。とりわけ東日本大震災の時に、リタンダンシー(冗長性、余分、余裕、重複、迂回可能)の観点から、BCPやレジリエンスなどの対策をすべきと考え、取り組もうとしてきた。しかし災害ごとに、いつも同じことがおこり、いつも同じような報道が流れる。私たちは災害・事故に何を学び、何を学ばなかったのかと、災害時にいつも思ってしまう。「生産地からお客さまにたどりつくサプライチェーン(供給連鎖)」と「お客さまにお客さまの価値を生みだすバリューチェーン(価値連鎖)」のちがいを認識せず、日本は効率性を重視してサプライチェーンにばかり、目を向ける。
(2)「お客さまの姿」がイメージできなくなった日本
卸売市場で、卸売業者さんと料理人のこんな会話が聴こえた。「この魚をこのように料理したら、お客さまに喜んでいただけた」「そういう料理が最近好まれるんか?今日入ってきたこの魚、おいしいで…」と、二人で話がはずんでいた。魚を獲る人、魚を売る人、魚を料理する人、魚を食べる人がつながることで、価値が生まれ、日本の食文化が耕されてきた。
「お客さまのニーズをつかむ」とマーケティングやロジカルシンキングの本とかで言われるが、オフィスやパソコンやスマホの前ではつかめないし、何も生まれない。現場にこそ「ヒント」がある。にもかかわらず、大切な「お客さまの声、気持ち」とつながる場があるのにかかわらず、そこにアクセスしようとしない人がどんどん増えている。ましてやスーパーではかつて市場でやりとりしていた「対面販売」という瞬間が減り、お客さまの声がつかめなくなっている。スーパー、卸売業者、産地それぞれの間で「対話」がなくなることで、日本の食ビジネス、食文化が細くなっていく。産地から市場、スーパー、店、そしてお客さまに、効率よくスピーディーに物をお届けするという「サプライチェーン」の各プロセスで「対話」がなくなることで日本の力はおちていく。
(3)地域社会で生活していくための「生業」がなくなった日本
この20年で市場や商店街の鮮魚店や青果店が急速に減った。個店が減るということは、個店の人たちがもっていた魚の下処理技術、食材の目利き力などがなくなるということにつながる。地域に「生業」が減り、スーパーには全国区の魚、野菜が並び、海外のモノも並ぶ。年がら年中、日本中、世界中のモノが揃う。全国、世界の産地とスーパーとが物流ネットワークで垂直・水平統合され、なんでも揃うが、地域を感じなくなり、季節感を失った。
そもそも生業とは、「生活するための業(なりわい)」、貨幣に交換可能な財やサービスを生み出し貨幣を得て衣食住を満たすということ。地域社会で生活していくための生業(なりわい)を日本は喪失しつづけている。江戸時代の藩、明治・大正・昭和の戦前までは、「地域内での経済循環」が機能していた。地域の「お金」を地域の内でぐるぐるまわせていた。地域で必要なものを、地域で人を育て地域で創意工夫してつくり、地域のみならず国内、海外にも売って、地域のなかで「金」を循環させてきた。災害が発生するごとに、この「地域内経済循環」が機能しなくなりつつあること、年々脆弱化していくことに気がつかされる。地域に住む人の「地域」を強くするためには、地域のなかの「生業」をつくりなおさなければならない。
イタリアの「イータリー」というショップで購入した「食材絵図」を思い出した。イタリアのオリーブ、パスタ、パン、チーズ、ワインなど食材ごとに採れる、つくっている地域をマップ化した絵図である。おそらく日本が失った課題のひとつは、この絵図がつくれなくなったことに集約されると思う。イタリアは各地域ごとに地域独自の食材を地域の生産者がつくり、地域独自のモノを市場、生業店が地域のモノで揃え、独自のものに食品加工し、地域の人々はそれを地元産として購入する。このような「地域経済が循環するしくみ」がイタリアの各都市ではまわりつづけている。イタリアの「食材絵図」から、それが伝わってくる。豪雨災害後の混乱を見るにつけ、日本における地域のあり方、地域経済循環モデルの再構築をどのようにしてすすめるべきかと考えさせられる。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔日経新聞社COMEMO 7月12日掲載分〕