この言葉がでてくると、思考停止する。「商品が売れなくなった→イノベーションをいそげ。」「少子化で市場が減る→イノベーションしなければ。」「AIが進展する→我々もイノベーションだ。」。なんでもかんでもイノベーション。オフィスの会議室で工場で学校の教室で新聞でテレビでシンポジウムでセミナールームで、手垢にまみれた賞味期限切れに近い「イノベーション」という言葉が日本社会に蔓延る。
「イノベーションって、なに?」と訊ねると、「技術革新とか変革とか刷新とか新機軸とか新たな価値創造だ」と教科書的回答がでてくるが、すっと腑に落ちない。日本語としてすっきりしない。海外から来た暗号(コード)が日本的なもの(モード)に翻訳・変換されず、「イノベーション」という言葉は暗号のまま日本社会にひろがっていった。
この暗号は、現代の日本社会を象徴する。本音は変わりたくないが、表面的には「変革」「革新」という言葉を叫び“戦う姿勢”を組織のなかで示そうとする。本当は変える気がないので、腰をひきながら、しかし「改革」「変革」と威勢よく語る人が組織のなかでは「うけ」、実力はないのに意外に出世する。内ではえらそうなことをいうが、外では通用しない。トップの本音は“変えたくない、変えようとしていない”ということをみんな知っているから、「イノベーション」はファイティングポーズだけのことが多い。本気に変革しようとする人は、決まって組織から弾かれる。だからなにも変わらない。変えなくてもやっていけると思っている間じゅう変えようとしない。だから突然とりかえしのつかないことになる。
日本人はイノベーションを日本語訳できなかったが、中国は「創新」と翻訳した。新しいことを創る。実は「創」という漢字はすごい意味をもつ。創の「?(りっとう)」は立った刀を意味し、鋭利な刃物でエッジを立て、新しいものをつくりだすという意味である。刃物による「傷」という意味がある。その傷をふさぐのが「絆創膏」、「満身創痍」とはからだじゅう傷だらけということ。イノベーションを「創新」と訳した中国人はすごい。
英語の「create」も「創建」と訳し、やはり「創」という字をあてた。createの派生語「carve」は彫刻する、肉を切り分けるという意味で、「創」と同じ意味合い。ゼロからエッジを立てて、鋭利な刃で新たなことを生み出すという考え方である。この「create」は明治に日本に入ってきたが、日本文化になじまなかった。日本にとっては「創造」ではなく、「想像」だった。
1 年前に放送されたテレビドラマ「陸王」がサラリーマンたちの圧倒的な支持を集めた。怪我をした企業陸上部のマラソンランナーのことを想って、老舗の足袋会社のみんなが、たった一人の怪我をしたランナーのために、足袋づくりのノウハウを活かしたランニングシューズの試作品をつくりつづけた。怪我をした選手が42.195キロを走る姿をイメージするという「想像力」を発揮したモノづくりにサラリーマンたちは忘れかけつつある日本企業の「強み」に共感した。日本的モノづくりのすごさをだぶらせて観た人も多い。
一方、ライバルの大手企業は自社が「良い」と考えた価値観で、誰かわからない多くの人に向けた「最高級」と考えるランニングシューズをつくった。これは「創造」するモノづくり。“エッジがたっているから、わが社の良さを解釈してくれ”というスタンスのモノづくり。イノベーションは、まさに「創」の考え方に立脚している。イノベーション・創新は、西欧的や中国的発想で、日本的ではない。
日本的な「想像」は、ある人がそのモノを手にとって喜んでいる、嬉しそうな姿をイメージすることから、はじまる。そして自分の「想い」というフィルターをモノにかさねてつくるから、サービスするから、「お客さまの感情・気持ち」に寄り添うことができる。だからお客さまの「共感」が得られる。日本はこの「想像力」をずっと鍛えてきた。たとえば俳句や短歌、文字を読むだけで、作者が歌にしのばせた「風景」が心の目に浮かぶ。茶道もそう、茶室の花に込められた亭主の「気持ち」がわかる。この「想像力」こそが、日本のモノづくり、サービス、コミュニケーション、人と人との関係性、社会のありようの基本的視座であった。
その「想像力」が弱くなってきている。あおり運転など、その典型。電車のなかで大きなリュックサックにヘッドフォンにスマホでゲームをする人などもその典型。他人がどう感じるのかへの想いを致すことができなくなっている。自分が逆の立場だったらどう感じるのか、我慢できるかということを考えなくなった。相手のこと、お客さまの姿・気持ちを「想像」できなくなった。エッジをたてて「イノベーション=創新」一色となって、ゼロからなにかつくれ、他者とちがうこと、別のことをつくれ、考えろといわれているうちに、お客さまのことがイメージできなくなり、モノづくりの力・人との関係性が弱くなった。「想像力」を駆使して喜ぶお客さまの姿をイメージして、それを実現する。それが日本流「イノベーション」だったのではないだろうか。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔日経新聞社COMEMO 8月10日掲載分〕