あっという場所に、お地蔵さんがいる。寺、商店街、住宅地、道路の交差点、墓、山のなかで、お地蔵さんの祠(ほこら)に出会う。
インドからシルクロードを通って弱者を救う「地蔵菩薩」が飛鳥時代に伝わった。四天王寺の近くの六万体町は聖徳太子が6万体の地蔵を埋めたことが由来。
その約700年後の室町時代。地蔵菩薩は古代日本からの信仰「道祖神」と融合し、町や村の守り神、子どもの守り神という「地蔵信仰」へとアップグレードされて、京都から畿内へ広がる。稲荷信仰の強い関東には広がらなかったので、上方中心の“お地蔵さん文化”となる。
町や村の出入口で、災いが入るのを防いだり、旅人の安全を守ったり。子どもたちの安全もお地蔵さんは守った。町や村では、かつて自分の子どものよだれをつけた赤いよだれかけをお地蔵さんにつけていた。
江戸時代のお地蔵さんブームが一転し、明治維新の廃仏毀釈でお地蔵さんは壊され埋められ、町から消え、地蔵祭りも禁止されることとなった。しかし時が経ち、お地蔵さんが掘り起こされ、少しずつ町に戻ってきて、地蔵盆が復活した。
夏の上方では、お地蔵さんを核に子どもたちの安全を祈り、地域のなかで多くの人と人の心をつなぎ合わせようと、まちのあちこちで地蔵盆がおこなわれる。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔産経新聞夕刊 7月23日掲載分〕