構図は劇的。私立と公立、普通高校と農業高校、都会と地方、スター軍団と雑草チーム…。103年ぶりの秋田県代表校の決勝進出。誰も予想しなかったシナリオ。秋田の金足農業高校の投手が1回戦2回戦とバッタバッタと三振をとっていくなか、秋田の公立の農業高校に、日本は注目しはじめる。横浜高校に逆転勝利したころから、金足農業高校は甲子園球場を味方にしはじめ、近江高校、そして日大三高と戦い、決勝戦へと勝ち進み、大阪桐蔭高校と戦う。
判官贔屓もある。ここ数年、甲子園球場での高校野球の応援スタイルがとみにそうなる。参画型イベントがごとく、負けているチームへの応援が加速する。野球の試合に自己投影するがごとく、アルプススタンド以外の席ではタオルの振りまわしが禁止されているため、甲子園球場全体が、判官贔屓の拍手で支配されることがある。
これからの日本の縮図のような人口減少、高齢化が進む秋田。その秋田の選手たちがつくりだした20日間の成功プロセスに日本中がつつまれていく。秋田のパブリックビューイングにつめかける人たち、金足農業高校に寄付金を届ける人たちの姿がマスコミ、SNSによって、日本中に「秋田、頑張れ」の空気を増幅させる。現代日本社会に閉塞感を覚えている人たちは、強豪を破りつづける雑草チームに、透き通る青空のような明るい解放感、爽快感を覚える。
秋田の公立高校を応援したのは、判官贔屓からだけではない。今まで一度も優勝したことのない秋田県代表で、しかも公立の農業高校が私立の強豪校を次々と打ち破っていく姿が、秋田県民、秋田につながる人たち(実は私の息子夫婦は秋田在住)を元気づけ、勇気づけた。郷土愛、愛郷心・パトリシズムよりも、もっとポジティブで明るい響きの「地域愛」を力強く浮上させた。なまはげ、あきたこまち、秋田犬、きりたんぼ、竿灯まつり、稲庭うどんまで、すべての「秋田」の文化が愛すべきものに転じていく。
国体も都道府県対抗で「故郷」を感じないわけではない。しかし、夏の甲子園は、お盆に、生まれ故郷に帰省し、リビングのテレビに映る甲子園の高校生たちの一所懸命な姿を見るとはなしに見て、自らが学生時代にすごした風景、想い出、記憶を重ねあわせることで、地域愛を意識させる。とりわけ今回の秋田の金足農業高校の躍進は、地元への誇りとパトリシズムの喚起に加え、現在の不安、閉塞感を打ち破り、将来への自信、未来への可能性が掛け合わされた。
8月23日、24日、京阪神では地蔵盆がひらかれる。
地蔵盆は、地域文化そのもの。「1400年も前にインドからシルクロードをわたって中国経由で奈良・飛鳥・平城京に伝わってきた弱い者を救う『地蔵菩薩』+日本で信じられてきた『道祖神』=室町時代に町や村の守り神、子どもの守り神として「地蔵信仰」が京都から畿内に広がり、地域の子どものための祭りとして「地蔵盆」がおこなわれるようになった。
子どもは数珠繰りや盆踊りに加わり、お菓子や玩具のお接待を楽しみ、夜は大人の宴となる。お地蔵さんに、自分のこどもの匂いのする赤いよだれかけをかけ、こどもを守っていただくことを願った。まちのあちこちにお地蔵さんがおられるが、お地蔵さんはまちや村の出入口で外からの災いが入ってくるのを防いだり、旅の安全を祈り、地域のこどもの安全を願うために、要所に置かれ、地域を守ってもらっていた。
明治維新でお地蔵さんはいったんなくなるが、徐々に復活し、現代社会において「お地蔵さん」は地域コミュニティをつなぐ「シンボル」として生き残る。地域のこどもからシニアまでみんなが集まって、地域を意識し、お互いをつなぐ場として機能している地域がある。地域のなかで地域の人々がつながる場として、祭りとともに地蔵盆が盛んになる地域が増えている。
秋田県の金足農業高校を応援した構図に、地域を意識し地域のみんなでつながろうという心がベースにあるのではないだろうかと思った。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔日経新聞社COMEMO 8月24日掲載分〕