「過ぎたことをふりかえるとき、人間は神になる。こうなることを私だけは知っていた」と、司馬遼太郎は「坂の上の雲」で、日露戦争後のロシアの大蔵大臣の言葉を紹介した。今回の北海道地震に伴う停電に際して、そういう「予言者」がいっぱいあらわれた。「私はずっと前から予想していた」「私はこのことを前から言っていたが、誰も実行しなかった。だからこうなった」と。こういったコメント、文章がいっぱいでてきた。「供給者側論理」で、市場でおこっている実態を知らない、知る必要もないと思っているかのような上から目線の「結果論での語り」に辟易した。この人たちはいったいだれに向かって語っているのだろうか?一見正しそうに体裁がととのえられているが、その語りは現場で苦しんでいる人、現場で懸命に働いている人たちのこころに突き刺さらない。
そもそも「企画」がいばる時代ではない。そんな余裕、日本にない。日本は「企画」が強い国。綺麗な見栄えの良い資料をつくり、流暢な「語り」ができ、上役との立ち居振る舞いが上手な企画とかスタッフとか呼ばれる人が組織のなかを跋扈する。市場現場を知らない、お客さまのことを想像できない企画が「計画」をたてる。「実行」は別の人がする。うまくいくと計画をたてた人が褒められ、うまくいかないときは現場が悪いといわれる。「参謀にお咎めなし」と、かつての日本陸軍でささやかれた。計画だけをたて結果に責任をとらなかった ─ その空気・風土が70年後の日本社会の各所に脈々と息づいている。
「これをしていなかったら、こうしたらよかった」と、物事が終わった後ならば、なんとでもいえる。結果がでた後ならば、どうとでもいえる。このような「後知恵」が多い。事前には予想できなかったことを、災害や事故などがおこったときに、あたかもそれが「必然」であったかのように「語る」人が一斉に現れる。
ビジネスも家庭も、自分たちが考えたとおりに、思ったとおりに、計画どおりに、“物事”が進むことは稀である。「想定外」は滅多におこらないようにいわれるが、現場の実際はそんなことはない。想定外など日常茶飯事。ビジネスの現場は思ってもいなかったことが次々とおこり、手に入る限られた情報で、都度都度、暗中模索で「判断」し、「実行」していくことがビジネスである。うまくいくこともあるが、うまくいかないことが圧倒的に多い。
大学のマーケティングの授業でよく使われるのは、コトラー氏の本。私も学生時代に読んだし、企業に入ってからも読んだ。私の手元にあるのが第12版(2014年発行)で、第1版がなんと1967年だから、なんと50年前。つまり50年以上も大学やビジネスや行政などの本として、ロングセラーとして、「通説」として「君臨」しているのだから、すごい。
しかしそもそもマーケティングとは「Market-ing」である。“市場は常に動く”生ものの学問である。日々、マーケティングはおこなわれるから、コトラーの本も第1版からどんどんアップデートされていき、本のページ数も1000ページに増えていった。ページ数だけではない、内容も多岐にわたる。別の言い方をすれば屋上屋を重ね、巨大迷路をさまようかのような構成となったともいえる。
実は問題はそれだけではない。本当の課題はこの1000ページの大作の928ページが「計画」で、ビジネスにおいて一番大切な「実行」はなんと2ページしかないことだ。ビジネスは「実行」してなんぼ。計画をたてて、現場で実行して、その結果・反応を見て、その「事実」を読み解き、学んで、見直して、さらに良いものにして、また現場で実行する。物事を見て考えて計画をたてるために、「理論」を学ぶことは大切である。しかし「計画」をたてただけでは、なにも動かない、なにも始まらない。実際に現場で動いて、悩んで、考えて、実行してこそ、物事が見えてくる、動きだす、はっと思うことに出会う。
「試行錯誤」の繰り返しである。やってみると、うまくいくこともある、うまくいかないこともある。売れるときも、まったく売れないこともある。その反応に学び、やり方を変える。ものづくりはそれがあたり前。たとえばナイフとフォークをつくろうとすると、エルゴノミクス(人間工学)というようなアプローチだけでは十分ではない。手にもったとき、お客さまの手にしっくりする、「手になじむ」という感覚のものをつくるためには、いくら素晴らしい「計画」とか「設計」をデザインしたと思っても、お客さまの「手になじむ」ものになるとは限らない。ものづくりには、ものづくりの現場での相手の姿、気持ちを「想像」して、こっちがいいかな、これがいいかなといった微妙な「チューニング」が求められる。
「アジャイル開発」という横文字が最近よくでてくるが、日本がかつて伝統的に取り組んできたことと基本は同じ。これ良いのじゃない、これはいけるんとちがうかと思ったこと、考えたことを即座に「プロトタイプ」をつくって、それを具体的に試してみる。そしてその反応、出来あがりをみて、現場で修正して、つくりなおして、よりよいもの洗練したものへと仕上げていった。机上、いやパソコンの空論ではなく、具体的な「形」をつくって現場で試して、その反応を見て感じて、そして見直して、また実行して、また見直す。その現場での「繰り返しプロセス」こそが、日本の強みであったはず。「計画重視>現場・実行軽視」を早く正さないと、大変なことになる。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔日経新聞社COMEMO 9月13日掲載分〕