「オーモーレツ」「大きいことはいいことだ」「24時間戦えますか」というCMで育ったのが団塊世代。
戦後日本で、民族大移動がおこった。仕事を求めて全国から東京に人が集まった。朝から晩までみんな、一所懸命働いた。企業は右肩あがりのグラフを書きつづけた。日本経済は右肩あがりに成長した。働けば働くほど収入は右肩あがりとなり、郊外にマイホームを建て、マイカーを買った。そして子どもが生まれ、ベッドタウンはどんどん大きくにぎやかになっていった。そして、30〜40年経った。
気がつけば周りの風景は変わった。定年退職したので働いていたときに支給された通勤定期券がなくなり、東京にはそうそうは行けなくなり、自宅から「30分圏」社会へと行動範囲が狭まった。現役時代に働いていた「都市」の風景と、週末だけしか生活しなかった郊外という「都市」の風景はちがって見える。
そもそも「都市」とはなにか?日本は「都市」という本来の意味を取りちがえてきた。日本全国はどこもかしこも「都市」と呼んでいるが、「都市」の反対がなにかがわかっていない。「地方」といったり「田舎」といったり「農村」といったりするが、都市の反対は「郊外」を指す。
「都」の語源は、上図の右側の「おおざと」の上の「口」は城郭、「巴」は人がかがんでいる姿をあらわす。よって「邑」は、城内に人が集まった集落のこと。「都」の左上の「①」は自然を意味し、下の「口」は人の口(くち)。つまり「都」の上の「①」は自然、下の「口」は人の口(くち)のこと。つまり「都」とは自然のなかに城郭という区画をつくり、人が集まり農業や工業などの仕事をして暮らす場所という意味である。
「農・工・商・住」すべての機能が揃っているのが「都」であり、そこに集まった人たちがつくったものをそこに住む人に売り買いする「市場」があるので、都に「市」を加えて都市となった。住むだけ、農業だけ、工場だけ、学校だけ、病院だけという単一機能の場所は本来「都市」と呼ばない。江戸時代は城下町という計画的につくった都市と郊外を明確に分けていたのに、明治以降の日本はなんでもかんでも「都市」と位置づけた。住むだけのところ、工場だけのところまで「都市」と扱い、「都市計画」をつくり、「公共投資」を促した。
日本中のいたるところが「都市」を標榜し、なんでもかんでも集めよう、集めたいと「都市計画」をつくった。商業地域からなにやらと書くのはいいが、都市計画(アーバンプランニング)を書いても、そのとおりに集積するわけではない。本来は民間の社会・経済という「動態」が先に動き、いろいろなものができる。しかしあらゆることが必ずしもうまくいくわけない。よってここはだめ、ここにつくったらだめと線をひいたり加えたり、と事後的に後づけに、行政が管理(税、条令)していくのが本来の流れである。市場で「動態」先行し、そのあと行政がそれに付いて行ったり支えたりして整えていくのが自然の姿であるのにもかかわらず、日本は行政が計画して「動態」をつくろうとしてきたが、殆どがうまくいかなかった。「都市」は生き物で計画してうまくいくものではない。たとえば「研究学園都市」とする都市計画された「都市」つくばは、その後どうなったかは現代の人は知っている―計画どおりに物事は進まなかった。
そのつくばと同じ茨城県の南部に取手市がある。日経の記事に人口が減少している「始発のまち」として紹介されている都市である取手市は江戸時代に宿場町として栄えたあと、明治29年にはJR常磐線がつながり、戦後東京へJR40〜50分の時間距離の東京郊外のベッドタウンとして人口が急増したが、現在は人口10万で65歳以上の人口比率が31%となった。
その平均的な「限界都市」のひとつともいわれる取手市で、新たな動きがある。人口減少のため起業が必要だといって全国へ世界へと羽ばたく「成長」を期待する起業・企業を目論む自治体が多いが、取手市は「地元を潤す」起業・企業を応援している(「起業タウン構想」)。
取手の人がつくったものを取手の人が買うという、至極あたり前の「地域経済循環」を目指している。取手で「生業」などを起業しようとする人を取手市民と取手の既存の企業がよってたかって応援しようとしている。
情報技術を使ったビジネスをたちあげて世界を目指すのだという格好良い起業ではなく、取手に住む主婦や会社勤めをリタイアした地元の人が、地元のものを使ってモノをつくり、地元の人・企業にサービスを提供し、地元のなかを地域のお金をまわそうという極めて地味であるが、堅実な取り組みを2年半前からはじめている。
この民間の活動にサポートするのが取手市と起業支援の専門家がつくった組織。地元、企業、市民、起業支援者を巻きこみ、小さくとも起業に夢を持つ人たちに寄り添い、ひとつひとつの事業をたちあげ、それぞれをつなげようとしている。
レンタルオフィス、地元の経営者が起業経験を語る「成長塾」、駅前ビル1F にテスト出展できる「Match Market」、起業応援団や起業家カードなどの起業支援体制を次々とつくり、地域で地域のヒト、モノ、コトをぐるぐるとまわそうとしている。この地域経済循環モデルは、市外から取手に来た一人の「起業支援専門家」が取手市の職員に「想い」を伝え、取手市長を動かし、市長と「ヨソモノ」の専門家が、市民になんどもなんども「想い」を語りつづけたことから生まれた。彼らが動いて、地域の経済がまわりだした。
これは決して新たなことではない、江戸時代、多くの藩で取り組んできたことと基本は同じだ。現代社会でできないことはない。団塊世代のリタイアで「30分圏社会」になるこの時期こそが地域経済循環につくりかえるチャンスではないだろうか。
(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)
〔日経新聞社COMEMO 9月18日掲載分〕